今日も今日とて、高学年の悪ガキどもが何やらコソコソと密談中。「うちのかあさん、めちゃくちゃいいよるし…」「うちもや」「うちなんかとうさんが…」「ホンマ腹たつわぁ!」 どうやらご家庭への不満うっせきをみんなで語り合っているようなご様子。聞き耳をこらすと、そらおまえの不満もわからんではないということもあるけれど、中にはどう考えても親の言うことなすことすべてにいちゃもんつけてんのんちゃうんかというような突飛な論理もあったりする。まぁ彼らもいよいよ「反抗期」の入り口にさしかかったのだろう。
毎日毎日こんないちゃもんにつきあわされておられる親御さんも大変には違いないが、ようここまで大きくなったと片目をつぶってやり過ごすしかないのかも知れない。ところが世の中には、この反抗期をまったく経験しないで大人になってしまう若者が急増しているというのだ。別に反抗期ってやつは親に対してだけのものではないし、社会や体制、自分を取り巻くすべてのものごとへの異議申し立てなわけで、これを通じて社会や他者との自分なりのスタンスを獲得して大人になっていく大切な時期でもある。反抗期がないということは、親にとっては楽だろうけれど、社会性を獲得すると面から見るとかなりヤバイような気もするのだ。
反抗期のない原因としては、幼少期からの濃密すぎる親子関係や家族以外の他者との接点の少なさ、そして何より親の期待を裏切らないように「いい子」を演じ続けなければならない状況があるようなのだ。
ところがこの「いい子」が時として爆発することがあったりする。それは拒食症や学校に行けないといったものから、凄惨な事件の加害者になってしまったりすることもあるのだ。「いつも笑顔で挨拶するあのいい子が…」と周りの大人が絶句しているコメントをここ数年で何回新聞で目にしたことだろう。こんな事件があるといわゆる識者という人が「いい子はキレやすい」とか「いい子こそが問題」などといったりするものだから、またまた混乱が生じてしまったりするわけだ。実際にカウンセリングで「うちの子は小さい時からいい子で育ってきたので心配です。どうすれば悪い子になれるでしょう?」などという笑うに笑えない相談が親から寄せられたりするという。
親の立場からは「いい子」とはどういうものかを教えられるだろうけれど、「悪い子」へのなり方なんか教えられるはずがない。もっといえば大人が教えるものではなく、子どもが子どもの集団の中で経験して獲得するものなのだろう。もっとも今では子どもがイタズラや悪さをできる場そのものがなくなってきてしまっているという問題もあるが、大人しては「元気」や「いい子」にばかり子どもの価値を認めるのではなく、イタズラのひとつやふたつじゃキミの生きている価値は何もかわらないということを、うまく伝えていかなければならないのだろう。
しかし、子どものイタズラは怒られるのをわかってしているところもあったりするので、放っておくのもいけません。というわけで今日も今日とて「こらぁ~っ!! おまえらまたこんなことしやがってぇぇ~っ!!」とまたまた子どもを追いかけているボクなのでありました。
(2005/11月号)
蛇足
反抗期を経験しないのは、社会環境の変化で反抗できなくなってしまっているからという面が強いのではないでしょうか。子ども人口の減少、ものわかりのいい大人たち…何事もになく成長できることはすばらしい反面、何かを乗り越えることで獲得できるものもあるのではないのかと思ったりするのですが…
※参照「<いい子>じゃなきゃいけないの?」香山リカ著/ちくまプリマー新書