明日の人魚姫たち

こどもって面白い

 幼児クラスのほとんどの子どもたちが森に出かけた後の風車棟には、女の子たち数人が残っていた。さて、今日の「お残りーず」たちとどうやって遊ぼうかな。プレイスクールにはもらいものの子ども用ドレスが何着かある。女子たちが争って着てくれるおかげですでにあちこちボロボロになってしまっているが、彼女たちの変身願望の前ではそんなことは気にならないらしい。ドレスを身にまとったお姫様たちは、紙で指輪とピアスを作りだした。こうなるとヒカリモノへの欲望はとどまることを知らず、「フーチン、前に作ったティアラ作りたい!」「はいはい、ほなちょっと用意してくるわ」厚紙と輪ゴムで作ったハチマキ状のベースに紙で装飾したらティアラの出来上がり! すると今度は「ネックレスがほしい!」「はいはい、ちょっと待ってて」いろんな色のストローを短く切って、毛糸を通してつないでいくとかわいいネックレスが完成。

 しばらくはお姫様ごっこで遊んでいたけれど、ひとりの子からさらなるご要望が飛び出した。「人魚姫になりたいんやけど…」「にっ人魚姫、あの足がお魚の尻尾のやつ?」「うん、リトルマーメイドのアリエルみたいなやつ」「う、う~ん、ちょっと考えるわ…」はてさて人魚の尻尾か、何で作ったらええかなぁ? そやそや凧作りに使ったカラーシートが残ってたな。それにしよ! ビニールシートを子どもたちの腰に巻いて、足元をタイトにテープで固定して尻尾の部分はヒラヒラと残してみた。あら意外と人魚姫じゃん! 

 子どもたちも大満足だったのだけれど、ひとつ問題が発生した。あまりにも足元をタイトにしたものだから、歩くこともままならず人魚たちはぴょんぴょんと跳ねて動くしかないのだ。何だかいけすから逃げ出した魚があちこちで跳ねまわっているような、キョンシーがうろうろしているようなけったいな光景になってしまった。調子に乗って人魚といえば貝殻ブラも提案しかけたが、当たり前ながら彼女たちは武田久美子なんて知らないから止めておいた。

 ところで彼女たちがイメージしている人魚はたぶんディズニー映画のそれなのだろうが、実はアンデルセンの原作は悲しくもかなわぬ恋の物語なのだ。人間の足を手に入れるために舌を切られて声を失ったり、足を得ても歩くたびに刃物の上を歩くほど痛かったりと、今の時代から見れば残酷なシーンも多いのだ。今的には何らかの壁はあるものの最後には夢がかなってハッピーハッピーな方が受けるのだろうけれど、昔のお話しは世の中の非情さや理不尽さ、努力しても報われないことも多々あるのが現実というものだということを諭していたのかも知れないし、そんな現実と折り合いをつけて生きていくことの心構えを伝えていたのかも知れない。

 それからしばらくは人魚ごっこで盛り上がっていた女子たち、途中からなぜか人魚たちがバスに乗っているというシチュエーションでお話が進んだのだった。子どもたちのお話は時として小説よりも奇なるものなのである。

 かわいい人魚たちの遊んでいる様子を見ながら、将来、彼女たちのヒカリモノへの欲望に翻弄されるであろう男子たちの悲哀と、その欲望が食欲に向かった結末としてのマナティ化に折り合いをつけなければならない理不尽さが頭に浮かんでは泡と消えていったのであった。

(2018/02月号)

蛇足
 ハッピーエンドのお話は耳触りはいいけれど、何ごとにも陽があれば陰もある。清く明るいことしかないことにするこの時代は、まるで片目をつむって自転車に乗っているようで、ちと危ういと思ってしまうボクはただ単にひねくれているだけだろうか?

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