山桜はらはらと舞う 春の空 天に昇りて龍めざすらん

キンダー

 今年も丸太遊具「ゴンタロー」に結びつけた竹竿にこいのぼりが泳ぐ季節となった。春の青空に悠然と体を泳がせるこいたちは実に気持ちよさそうである。

 端午の節句にこいのぼりをかかげるという習わしは、江戸時代に始まったらしい。もともと中国の故事にある「鯉の滝登り」は、黄河にある急流「竜門」をいろいろな魚が登ろうとしたが最期まで登り切り、龍となったのは鯉だけだったというお話しで、ここから「鯉の滝登り」が立身出世の象徴となっていったといわれている。だからしてこいのぼりなわけで、出世魚だからといってブリのぼりでもなく、ましてや風態が同じようだからといってメザシのぼりでは断じていけないのである。

 そんなこいのぼりの下で、今日も子どもたちははじけるような笑顔を見せてくれている。子どもたちの笑顔はいつもすてきだけれど、なぜか春はとびっきりいい顔をしているように感じてしまうのだ。ひとつ学年があがった自信からだろうか。胸につけている名札の色が変わっただけなのに、中身までガラッと変わってしまう子がいる。ある日突然に成長してしまう…子どもってそんなものらしい。はたまたこれから始まる新しい一年への期待が笑顔を輝かせるのか。どんな新しいことと出会えるのか、どんなことを身につけられるのかワクワクドキドキなのだろう。大人のようにあぁまた忙しい一年が始まってしまうなどとブルーになったりはしない。どんな急流が待っていても彼らは全力で駆け登っていくのだし、大人のように流れに身を任せてしまったりはしないのだ…子どもってそんなものらしい。

 だからやっぱりこいのぼりなのだ。出世魚とはいってもブリもしょせんは魚でしかない。登りつめても社長や会長といったところか。(もちろんそれはそれでスゴイことなのですが…)それに比べて、コイは魚を飛び越えて龍になってしまうのだ。エジソンか山中教授か、はたまたウルトラマンか仮面ライダーくらいスゴイことになってしまうのだ。これはもう子どもたちにはブリの照り焼きなどではなく、コイの洗いか甘露煮をガンガン食べさせて、龍を目指してもらいたいではないか。

 青空に泳ぐこいのぼりを見上げる子どもたちの笑顔を見ながら、みんな自分らしい龍になってくれればいいなと思っていたボクなのであった…あれっ?しかしみんなが龍を目指したら…いかんいかん、せめて何人かは虎を目指してもらわなければなりません。鯉は六甲下ろしを登り切り猛虎となりましたとさ。今年も「アレ」お願いしまっせ!

(2013/05月号)

蛇足
 川柳に「江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し/口先ばかりではらわたはなし」というものがある。江戸っ子の気質を表したもので、口では荒っぽいが腹の中はさっぱりしているという意味だとも、口では調子がいいが土性骨がなく粘りや根性がない意味だともいわれる。今の世の中、見栄え見てくれ口先三寸で渡っていけそうな話ばかりだけれど、龍になるには中身もしっかりしてないとね。目指せ!竜門突破!

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