「まったくこんな暗くなる時間まで、いったいどこをほっつき歩いてたの!」「友だちと遊んでた…」「ホントこの子ったら、道草ばかりくってまっすぐ家に帰ってきた試しがないんだから」「…ごめん」
一度はこどもをしたことのある人なら、必ずこんなふうに怒られたことがあるに違いない。しかし、こどもなら至極の幸福感ととも一度はくったことのあるこの「道草」なるものが、近い将来、絶滅危惧種となる可能性が出てきたのである。原因は環境汚染ではなく、ITなのである。
確かに今でもすでに携帯を持たされているこどもは多いから、すでに鈴はついた状態になっているのかも知れない。携帯の機種によってはGPS(全地球測位システム)がついていて居場所もわかるものもある。
これだけでも十分じゃないのと思うのだけれど、ITが目指している明るい未来はこどもたちにとってはもっと絶望的なのだ。来春開校する京都の某有名私立大学の付属小学校では、こどもたちが通学に使う定期に仕掛けがあるらしい。こどもが駅の改札や学校の校門を通ると親の携帯に「ただいま○○駅を出ました」なんていうメールが届くという。来春同時に開校するもうひとつの大学付属小学校では、ランドセルに最初からGPSが組み込まれているという話だ。
こうなってはこどもは道草のひとつもくうわけにはいかなくなってしまう。もし帰りが遅くなったりしたら、明るいの未来に住んでいるこどもたちはこんなふうに怒られるのだろう。
「何時何分、駅の改札を出てからの約1時間、北緯○○分東経○○分○度にあるコンビニで何をしていたの!」「…ごめん」ぐうの音も出ないとはこのこと、まるで刑事ドラマの取り調べのようではないか。
我が子がどこにいてどんなことをしているかという不安や心配を解消するにはとても便利なシステムかも知れないけれど、かといって一日中こどもの行動を画面上で監視しているというのも、これもまたなかなか骨の折れそうなことではある。
先日、あるお母さんと危険な遊びの話になった。「うちの子、公園にある遊具の屋根に登っているらしいの。家の2階くらいの高さがあるのよ。ホント聞かなきゃよかったと思ったわ」こどもが自立しようと自分の世界を広げるほどに、きっと親にはいえないことも増えていくに違いないのだ。逆にいうとこどもは親にもいえないヤバイことを経験しながら成長していくということなのだ。だから親としては知らなきゃよかったこともたっくさん出てきたりする。
安全と引き替えに道草を取り上げられそうなこどもたちに、本当に明るい未来はあるのだろうか。ちなみに人間はシステムというものにとても弱い存在で、すぐにこれに依存してしまう傾向があり、気がつくとそのシステムの論理の中でしかものごとを考えられなくなってしまう。システムを使っているつもりがいつの間にかそれに使われてしまうようになってしまうのだ。携帯に送られてくるメールやパソコンの画面上に現れるGPSの位置にのみ信頼を寄せるようになったら、一番大切なこどもとの信頼関係すら危うくなってしまいそうな気がするのはボクだけだろうか。
(2005/12月号)
蛇足
これが書いた18年前は、まだこどもが携帯を持っているのもめずらしかった。今や小学校高学年では半分以上が自分専用の携帯を持っている時代なのだとか。
小1(16%)、小3(44%)、小6(56%)、中1(76%) モバイル社会白書2022-2023(ドコモ)
画面の記録ではなく、目の前のこどもを信用して片目をつぶって見ることも大事なんじゃないのかなぁ。