プレイスクールでは毎年お正月に家族対象の凧あげ大会を行っていた。仕事も遊びも何でもかんでもバーチャルな世界に移行しているこの時代に何ともアナログなプログラムだけれど、どっこい冬の青空の下で風と戯れるのはとても楽しいものなのだ。今回はそんな凧あげ大会のひとコマ…
幼児や小学生の活動で作った凧を引っ張りながら、子どもたちが全力で河原を走り回っている。季節外れの暖かさとぽかぽか日差しにTシャツ一枚になって汗だくで走っている子いて、ほとんど運動部のトレーニングのようである。実際、風は弱かったもののそんなに必死に走らなくても凧はあがるのだけれど、子どもの凧あげは走ってなんぼなのである。彼らは振り返って凧を見ることもなく、とにかくひたすらに走るのだ。持っている糸が引っ張られる感覚だけであげている気分になるのか、それともそのうちに凧あげしていることを忘れて走ること自体が楽しくて仕方なくなっているのかよくわからないが、凧が地面に落ちていてもそれを引きずって走り回ってくれるものだから、凧はすぐに骨折して壊れてしまったりする。軟体動物のタコじゃないんだから…
見かねたお父さんが「ケン坊、そんなに走らなくても、ほらこうして落ちそうになったらちょいちょいと糸を引いてやると、すいすいっと凧はのぼっていく。ちょいちょい、すいすいってしながら糸を出していくと…ほ~ら、あんなに高くまであがっていくだろう」と自慢げに腕前を披露している。「お父さん、スゴイやん! あんなに凧がちっちゃくなってる!」「そうやろ! スゴイやろ!」「うん、スゴイすご~い!」子どもの称賛を受けて気分よく凧糸を繰るお父さん、しかしすでに子どもの姿はそこにはなく、友だちと追いかけっこが始まっていたり、河原の砂で洗われたガラスのかけらを探したり、川に石を投げて遊んだりしている。河原を見渡すと凧をあげているのは大人ばかり、子どもたちは凧なぞには見向きもせず遊び倒している。実はこれがこの凧あげ会では毎年の光景なのだ。
その昔、関西では凧のことを「イカ」、凧あげは「イカのぼり」と呼ばれていて、東日本や四国南部、九州東部では「タコ」その周りの地域では「ハタ」と呼ばれていたという。北寄りの季節風が安定している冬の遊び、特にお正月の遊びとして全国各地でいろいろな凧が作られあげられている。男の子の健康と成長を願い空高くあげるという意味もあって、武者絵などがモチーフとなっている地域も多い。実は凧あげは1970年代までかなりメジャーな遊びだったので、凧が電線に引っかかる事故も多かった。もし引っかかった時には自分で取らずに電力会社に連絡するよう注意を促すテレビコマーシャルが流れていたほどだ。
そして74年に「アメリカ、ヒューストンからやって来た」というコピーとともにゲイラカイトが日本の空に現れた。もともと和凧を上手にあげるには糸目やソリの張り、あげ方などに知恵と経験が必要な遊びだったのが、あの三角形の凧ときたら誰でもカンタンにあがってしまうのだ。あがらないよりあがる方がいいじゃないかとはいうものの、実はこれによって遊びを通した知恵の継承が途絶えてしまうことになるのである。あがるという結果のわかったものを与えられるのと、どうやったらあがるのかを考え工夫しながらあげるのとでは「凧があがる」という見てくれは同じでも中身はずいぶんと違うような気がするんだけどなぁ。
閑話休題。落語に「初天神」というお噺がある。お正月の天神さんに子どもを連れてお参りに出かけたおとっつぁん、いろいろな屋台が並ぶ中に凧を売っている店があり、これを買って凧あげをすることになった。子どもに凧あげってやつはこうするんだ、ああするんだと講釈をたれながら、結局は子どもそっちのけでおとっつぁんが凧あげを楽しんでしまうというお話なのだけれど…あれあれ? これは凧あげ大会で見たのと同じ光景ではないか。どうやら江戸の昔から凧あげは大人がはまる遊びのようだ。ちなみにこの噺の落ちはこうだ。いつまでも凧あげをしている父に愛想をつかし「こんなことなら、おとっつぁんを天神さんに連れてくるんじゃなかった」と子どもがひとこと。でもね、大人が真剣に遊んでいる姿を子どもに見せるってのも大切なような気もしますよ。遊ばされるんじゃなくて遊べる人間に育ってほしいものね。
(2020/02月号)
蛇足
子どもたちには事前の活動で作った凧を持って来てもらっていました。ぐにゃぐにゃ凧やダイヤ凧など、実は凧を作るのはそんなに難しいことではないのです。ただし少しの経験と知恵は必要です。そしていまやそのちょっとした経験と知恵が伝わらない時代になってしまいました。何より残念なのは創意工夫することの楽しさを経験することができなくなってしまったことかも知れませんね。