先日、自分が卒園した幼稚園に立ち寄る機会があった。そこを巣立ってすでに半世紀以上にもなるので、ちょっとドキドキな気分で駅からの坂道を歩いたのだった。入口にある教会はすでに建て替えられいて昔の面影はなくなっていたが、幼稚園舎は外から見る限りでは大きく変わっておらず、狭いプールもたぶん昔のままのようだった。それにしてもこの園庭、こんなに小さかったっけ?
実はこの訪問にはわけがあって、亡くなった母の友人、いまでいう「ママ友」のオルガン演奏会を聴くためなのだった。この方、ママ友などと呼ぶことははばかられる立派な音大の先生なのだが、いまだにボクとの関係はママ友の頃のままで、このおっさんをつかまえて「○○ちゃん」とちゃんづけで呼んでくれたりするのには少し困ってしまう。人の関係なんて出会った最初の頃のまま固定されるものなのかも知れない。
ボクが子どもの頃には、幼稚園でも学校でも当たり前のように存在していたオルガン(リードオルガン)はいまや絶滅危惧種なのだという。明治から昭和にかけてオルガンが日本の音楽教育を支え、その音色が平均律(洋音階)を日本人の身体に刻んだのだが、経済成長とともに音楽教育のはすべてピアノに取って代られ、世界でももうオルガンを製造している会社はないらしい。今回、その昔、幼稚園でも使っていたという100年物のオルガンも弾いていただいたが、まだまだ力強い音を響かせていた。きっとボクも子どもの頃にこの音に合わせて歌を唄っていたのだろうと思うと感慨深い。
ところでリードオルガンの音というのは、今の機械的に作られた音とは違ってさまざまな倍音が含まれていて、ときにそれが干渉して少し複雑な音を奏でたりする。単純な音(周波数)ではなく、含蓄のある音が質量をもった面でせまってくるような迫力があるのだ。もちろん演奏しているママ友先生の人生の深みもその音には含まれて共鳴している。世の中、純粋なもの単純なものに向かっているが、実は複雑で多様なものにこそ意味があるのではないかと思ったりしたのだった。
演奏に交えてママ友先生が自分の子どもをどうしてこの幼稚園に入れたのかというお話をしてくださった。小規模な園であること、送迎バスがないこと、給食がないこと、制服がないこと、知育をしないこと、当時はやっていたハーモニカを吹かせないこと、そして宗教教育をしてくれることという条件に見合ったからとのことであった。ボク自身もこの園で育ったわけで、道理でプレイスクールに併設の森の幼稚園に違和感を感じなかったわけだと気がついた。最初の五つはほぼ同じなので、併設幼稚園の子どもたちとボクは時代は違うけれど同じような環境で過ごしていたのだ。案外、同じような根っこなんだね。
当たり前だけれど、子どもたちは自分が過ごす環境を選ぶことはできない。われわれ大人が用意する選択肢以外はあずかり知らない世界である。だから子どもたちは、自分のいる世界をワールドスタンダードとして育っていく。そして学校に行って自分とは違ういろいろなスタンダードがあることを知りとまどう。でも大丈夫。すぐに子どもはその環境に適応していくものだし、そんなものは枝葉に過ぎない。大事なのは根っこ。小さいときに太い根っこを作っておけば、きっと台風が来ても倒れない。そしてボクたち大人がしてやれることは太い根っこが張れるように土を耕しておくことくらいかな。
ところで、ボクも幼稚園の頃、ヤ○ハオルガン教室なるものに通っていたことがあった。今になって思えば決して音楽的素養があったとは思えない母の希望的策略に違いなく、もちろんDNAという根っこは動かしがたいので、人生のかなり早い段階で自分には音楽的才能がないことを思い知ることとなったのであった。
耕すことは大事、でも水と肥料のやり過ぎは根腐れの原因になるのでご注意を!
(2016/06月号)
蛇足
教会付属の幼稚園なのでお休みは土曜日で、日曜日には教会学校があったため、近所の友だちと休みが合わないというちょっと困ったこともあったけれど、概して楽しい思い出ばかりだった。教会で働いて居られる方の中にろう者の方がおられて、毎日草むしりや外仕事に熱心に取り組んでおられた姿をよく覚えている。併設幼稚園は女性スタッフの多かったのでプレイスクールが力仕事を担当する機会も多く、そんなときにふと今の園児たちには自分がその方のように映っているのかも知れないなと感じることがあった。環境を耕すことにも喜びはある。