プレイスクールではめずらしく行事もなく静かなある日曜日のこと、誰もいないはずの丸太遊具ゴンタローから子どもの声が聞こえてきた。「きゃ~っ、このネットこわ~い!」また誰か近所の子どもでも遊びに来たのかなと思っていると、子どもの声に続いてお母さんの声がする。「あんた、気ぃつけや…ふーん、いまはこんなになってんねんや」お母さんの胸には抱っこひもに赤ちゃんがおり、子どもについてネットに上がっているではないか。うわぁお願いやしケガしんといてね、と離れたところから見ている僕はハラハラもの、関係者以外は遊ばないで下さいと言いに行こうかと思ったとき、子どもが風車棟を指さして「じいじぃ、ここ体育館なん?」と聞いているではないか。するとその子よりも小さい子の手を引いたおじいちゃんと思しき方が現れて、「ここは風車棟ってゆうねん。お母さんも昔ここで遊んだはったんやで」と答えている方の顔をよくよく見ると…あらっ!昔の保護者の方ではないか。ということは、あのお母さんは…えっ!ひょっとして…遠い昔(いやいやそのお母さんに怒られそうなので、ちょっと前ということにしておこう…)に卒園したOGではないか。それからしばらく昔話に花が咲き、おじいちゃんとお母さん、そして子どもたちはプレイスクールの下の谷川に遊びに行ってくると山道を下って行かれた。
それからほどなく、事務所で仕事をしていると入口あたりから声がする。「フーチンいる?」はいはいと応対に出ると、これまた先ほどのおじいちゃんと同じくらいのときの元保護者ご夫妻が小さいお孫さんと一緒に立っていた。この学園OGの娘さんが仕事で忙しいと近所にいる自分たちのところに孫がやってきて、こやつが来ると自分たちの時間がまったく持てない上に、先日など風邪までうつされて大変な目にあった、孫の面倒を見るのははた目には幸せそうだがなかなかたいへんなのであると力説されている目はデレデレでやっぱり嬉しそうだったりするのであった。
活動のおやつの材料を買い出しにスーパーに行くと、今度はまた違う元保護者のお母さんから声がかかる。「いや~まだいてはるんやねぇ。懐かしいわぁ」から始まって、娘さんたちふたりの近況とお孫さんの話がこれに続き、僕はしばし相づちに徹することとなる。実は最近このパターンが多く、スーパーやホームセンターで元保護者の方にばったり会ったりすると、今はもうお父さんやお母さんになっている昔の子どもたちの様子を教えてくれる。そのたびに「へぇ~○○ちゃん、そんななってはるんですかぁ」「ほぉ~□□くん、頑張ってはるんですねぇ」と相づちをうち、彼ら彼女らの小さかった時のことを思い出しながら、それぞれの道でたくましく生きている様子にほっとしたり嬉しかったりするわけだ。
それにしてもである。元保護者の方々やここを巣立っていった元子ども現大人にとって、プレイスクールはどんな存在だったのだろう。単なる子どもの習い事だけでは片づけられない関係性があったというのは言い過ぎだろうか。
先日、幼稚園の入園説明会があった。外掃除をしていると若いお父さんが声をかけてくれた。彼もまたOBの元子ども現大人で、自分の子どもの入園を考えているという。「ぜひともよろしくお願いします」と下げた僕の頭の中では、風車棟で彼と戦いごっこをして遊んでいたちょっと前の記憶がよみがえっていたのだった。
(2015/10月号)
蛇足
「あそび場」というちょっと変わったスペースが、地域コミュニティーの中で一定の役割を果たせたということなのでしょうか。社会的な機能からいえば、どーでもいい場が案外大切な役割を担っていたのかも知れません。きっと何事にも「あそび」が大事なのかな。