先日、久しぶりに古い友人に会った。会うのは10年ぶりくらいだろうか。いまはヨーロッパはイタリアを拠点に「舞踏」を踊ったり、ワークショップをしたりして食っているという変わりモンだ。舞踏というと、白塗りの裸に近いかっこうで得体の知れぬ動きで表現するあれである。欧米の人たちにとっては、舞踏の身体表現はとても刺激的らしい。彼等にとって踊りはバレエのように決まっているリズムに合わせて、決まった動きをすることが当たり前なのに、東洋から来たブトーダンサーはぐにゃぐにゃと動くかと思えば石のように固まったり、赤子のように泣きわめいたり老人のように身を震わす…いったい何なんだ!何を伝えようとしているのか?とにかくその作法の違いにがくぜんとするのだという。面白がられてヨーロッパ各地はもとより、あちこちからお呼びがかかるのだそうだ。見せてくれた写真には、ハワイの溶岩の上やブラジルの森、屋久島縄文杉のまわりや、果てはアラスカの氷河の上で踊っている姿があった。彼にとっては、旅をすることが彼の日常、いや生きることそのものなのだと思った
ひるがえってプレイスクールでは卒業生たちと旅をする「どんタッチ!」が間近になってきた。この企画は、子どもたちがこれから飛び込んでいく世界の中でも自分で道を見つけ自分の足で歩いていってほしいという願いがこめられていたりするので、旅の道連れにリーダーもついては行くものの、何番線のどの電車に乗ればいいなんて何も教えてくれないし、乗り過ごしたり間違えても「あ~ぁ…」と言葉にならない反応しかしてくれないのだ。(実は心の中では悲鳴号泣しているんですが…) 今年は京都から尾道までしか電車の旅はないので、迷子を楽しむ(?)機会も少ないけれど、そのかわり尾道から今治まで「しまなみ海道」を自転車で渡るという、まさに自分の足で目的地までたどり着かなければならない過酷な旅が子どもたちを待っている。
「かわいい子には旅をさせよ」という言葉があるが、これには旅立つ子ども以上に送り出す親や家族のものの決意が試されいる言葉だといえる。昔のことだから旅に出て病に倒れたり、盗賊に命を奪われることもあったかもしれない。それを承知で子どもを送り出す決意というものはたいへんなものだっただろう。いつもどんタッチについていって思うのは、この決意は子どもと一緒にいるとなかなか鈍るということだ。「おいおい、その電車違うやん!」「えぇ~ホンマそっちでええんかぁ」ついつい口をついて出てしまいそうになる。知らぬが仏ではないが、旅は知らないところで勝手にしてもらう方がいいのかも知れない。
舞踏家の友人に比べれば子どもたちの旅など隣の庭に行くようなものだが、それでも知らない世界に足を踏み入れるという点では同じだろう。人生はまさに旅だともいう。ならばその旅を十分に楽しんでもらいたい。何っ?どんタッチにDS持っていっていいかって!いやいやだからぁ、旅を楽しむっちゅうのはやな…はてさて無事に四国まで行って帰ってこられるのかなぁ!?…心配
(2009/04月号)
蛇足
卒業プログラム「どんタッチ!○○」は、青春18きっぷを使って自分たちで目的地を目指す旅です。ふだん車に乗せてもらい移動しているこどもにとっては、自分が乗る電車を決めることすらたいへんなので、毎回珍道中が繰り広げられるのでした。
友人の舞踏家は竹ノ内淳志といいます。興味のある方は「jinen takenouchi」などで検索してみて下さい。