クギを打つ、ひたすらに打つ

こどもって面白い

 先日のどんぐり工房(水曜午後に行なっていた少人数の工房活動)で、クギを打った。何か形のあるものを作るためにクギを打つことはめずらしいことでもなんでもないのだけれど、今回はクギを打つこと自体を楽しもうとこどもたち提案したのだった。

 あるところから大量にもらったクギをどっちゃりと用意し、小さい木片と一緒にテーブルに置いてこどもたちが来るのを待った。待っている間に試作として自分でもクギを打ってみたが、これがなかなか面白い。ただひたすらに打つだけなのだが、だんだんと打つ場所がなくなってきて、スキマを見つけてはクギを差し入れるという作業が続く。そうこうしているうちにこどもたちがやって来きた。

 「ふうちん、何してんのん?」「おっ来たか。クギ打ってんねん」「何か作んのん?」「いや作るんやのうてクギ打つねん」「へ~っ!ただクギ打つだけなん」「そうや、やってみるか」てな会話ののちに子どもたちもクギ打ちを始めたのだった。ガンガンどんどんと工房はにぎやかになっていく。

 ずっと打ち続けていると、気分はだんだんと職人さんのようになっていく。ある子がクギを口にくわえて「大工さんってこなふうにクギくわえるんやで」「そうや、その方が両手が使えるしな」「ふーん」 次の瞬間、それを横で聞いていた子どもは口いっぱいにクギをほうばり、またその横ではクギじゃなくカナヅチをくわえるこどもも現れる始末! それ違うって!

 それでもいつもならすぐに飽きたじゃ疲れたじゃと言い出すこどもが結構長い時間クギを打つことに熱中している。打っている子どもを見ていると、やっぱりだんだんと気持ちが変化しているようで、最初の打つという作業から、だんだんと何かに見立てて形のしていこうという気分になっていく子どももいる。また具体的な形に向かわない子どもは、クギの打ち方や太さや長さの違うクギを使ってデザインに工夫をしようとしている。

 クギを打つという作業から作ることになり、そして表現することにつながっていく。そんな瞬間に居合わせたような気分になったのだった。やっぱり人間って何らかの方法で表現しようとする生き物なんだろうか。

 さてこの夏のサマーキャンプでは、「アートキャンプin世屋」というモノ作りのプログラムを予定している。「アートなかかし」というのがテーマなのだけれど、はたして子どもたちはどんなものを作ってくれるのだろう。モノ作りの沼にのめり込んでいく子どもたちを見てみたいと思っている。しかし、キャンプをする施設の目の前に広がる芝生とボールの誘惑に負けて、野球にばかりのめり込んで最終夜につじつま合わせのように作品を作る何てことのないように、今からクギを刺しておきましょう!

(2008/08月号)

蛇足
 クギを打つというただそれだけの行為から、どこかに意味を見出して表現につながっていく。無目的なものから何かが生まれていく。そんなところにこそ創造性のねっこがあるのかも知れません。しかし、いまの時代、金づちがある家庭ってどんだけあるのかなぁ?
 「アートキャンプin世屋」ではユニークな看板のようなかかしがたくさん作られ、秋まで山間の棚田で稲の生育を見守っていました。奇妙なかかしが役に立ったのか、今年はイノシシの被害が少なかったと農家さんからもち米を送っていただき、こどもたちとお餅つきをしていただいたのでした。

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