先日、万博公園(大阪)の中にある国立民俗学博物館(民博)に行ってきた。映像人類学という視点からキリスト教の巡礼を描いた企画展を観るためで、実はこれを企画された大森康宏先生とは遠い昔にお目にかかったこともあったりする。フランスからスペイン・サンチャゴへの巡礼の旅は、日本の四国のお遍路さんとも通じるものがあり、行き着くところ自分自身と対峙する旅でもある。
展示を見終わり2階にあがると、民博に所蔵されている映像人類学のビデオを見られるブースがあり、ここでボクは巡礼とは違った形で自分自身と対峙する経験をすることとなったのだった。大森先生とは、ボクがプレイスクールに来る前にいた信州のロッジでお会いした。このロッジは夏休みの間は長野や東京のこどもたちを集めてサマーキャンプのようなことをしていて、こどもだけではなく面白い大人たちもわんさかと集まって来るへんなところだった。そこに大森先生もビデオカメラをかついで現れて、こどもたちと活動をしていたボクもその被写体となったわけだ。
「は~い、そろったグループからいただきますをして食べていいよ!」とビデオの中の自分が叫んでいる…あれっ? これって今も同じことしてるやん! 最後のタイトルエンドには1985年の文字が…「まぁ進歩のないこと、変わったのはここだけ!」と一緒に見ていた奥方に脇腹のお肉をつままれてしまったが、確かに実にみごとに同じことを続けている。でもきっとこの脇腹には「経験」と「智慧」が貯まっているに違いないのだ。大学を出て就職もせずに山のロッジに転がり込み、山の学校を作ろうという「夢」だけで今でいうフリーターのような生活をしていたけれど、何かしら「明るい未来」がまだ漠然とあったように思う。それは若さのせいだったのか、それとも時代の雰囲気だったのだろうか。
民博のある万博公園はいわずとしれたエキスポ70が行われた場所だ。それは戦後の高度成長の象徴のひとつでもあるお祭りだった。色とりどりのそしてとても奇抜な形のパビリオンには、どこにも明るい未来が所狭しと展示されていたし、そのころまだ少年だったボクには難しいことはわからなかったけれど、その場の熱気のようなものに疑いもせず素晴らしい未来が来るであろうことを信じていたものだ。
あれから37年、残念ながらその明るい未来は現実化しなかったものも多かったけれど、こどもの頃に自分の歩んでいく先に明るいイメージを抱けたことはとても幸せだったように思うのだ。翻って今のこどもたちは未来に対してどんなイメージを持っているのだろう。昔のように盲目的に科学万能を信じることはできないけれど、イメージだけでも明るく語ってやりたいではないか。おじいちゃんが鉄腕アトムに、お父さんがガンダム憧れていたように、せめてドラえもんのどこでもドアとタケコプターくらいはできているさといってやりたいではないか。
帰りに立ち寄った太陽の塔を見上げつつ、ちょっとドラえもんに近づきつつある脇腹を気にしながらボクはそんなことを考えていたのだった。
(2007年7月号)
蛇足
ボクがお世話になっていたロッジは長野・飯綱高原にあり、「遊び」をテーマとした施設です。当時、キャラクターの強い方々が集っておられ、若輩者のボクは大いに影響を受けたのでした。昨年開設50周年を迎え、「ピノキオ分教場」に参加していたこどもたちも集まってにぎやかに同窓会が開かれました。みんないい大人になってて、あらためて時の流れを感じたのでした。そら、年とるわなぁ…!
ロッジ・ピノキオ https://lodge-pinokio.com/
ちなみに民博のビデオブースで「おとなの幼稚園」で検索すると、若かりし頃のふうちんに逢えます。これはデジタルタトゥー?はたまたデジタルグレイブ?