ある日、ある子が自慢気にこういった。「ボク、ふうちんのホンマの名前知ってるぅぅ!」「ふーん、ホンマぁ?」「うん、最初に『ふ』がつくねんで」「そうそう、名字が『ふー』で名前が『ちん』」「違うって、ホンマ知ってんねんで!」
プレイスクールのリーダーはみんなニックネームで呼ばれているので、こどもたちもお父さんお母さんたちも何の違和感なくニックネームで呼んでくれているのだが、たまさかその裏側に隠されている本名という個人情報の存在を知ったこどもとの間でかような会話がなされるわけである。
実はボクの呼び名はプレイスクールに来てからついてものではなく、すでに小学校の頃からの呼び名だったわけで、人生のほとんどをこの名前で呼ばれ続けていたりするのだ。たまにお付き合いのある「大人社会」の方々や病院くらいでしか本名で呼ばれたことがなく、本名で呼ばれると何やら気恥ずかしい気分になったりする。だからこどもが本名を知ってしまって、その名前で呼ばれると気恥ずかしいを通り越して、レントゲン写真で身体のすみずみまで見られているような気分になったりして居心地がよろしくない。
友だちのことを呼ぶ呼び方はこどもの成長とともに変わっていく。小さいとき「○○ちゃん」と名前呼びだったのが、小学校に入るととたんに名字で「○○君」、最近ではジェンダー平等の取り組みで男女ともに「○○さん」何ていうふうになる。でも小さい時から知っている関係だと大人になっても○○ちゃんという呼び方をすることもあるから、結局はその友だちとの人間関係の距離感によるのだろう。ちなみに母の友達のおばちゃんは、いまだにボクのことをちゃんづけで呼んでくる…還暦過ぎのおっさんを!
プレイスクールの小学生クラスでも、名前呼びの方がフツーだし、中には年齢に関係なく呼び捨てでも仲良くやっていることもあるので、週に1回しか出会わなくても、プレイスクールのこどもたちの距離感はかなり近いということなのだろう。そして、学校や地域以外にこんな関係をキープすることは、案外と大切なような気がする。それは何もかもを背負い込んでしまいがちな学校以外の窓を持っているということだ。そしてその窓からは学校や地域、ひょっとしたら家庭とは違った風が吹いてきて気分を変えてくれることだろう。
ところでリーダーでこの呼び名問題(?)について話をしていて共通していたのは、スーパーなどでこどもに出会ったときにプレイスクールにいるときと同じように大きな声で呼ばれると恥ずかしい、こどもにお家に電話をしておじいちゃんやおばあちゃんが出られたときに名乗ると必ず「えっ?」と聞き返されるということだった。こどもとの関係がこなれてくると「ふうちん」の「ちん」を尊敬と愛情を持って繰り返し「ふうちん○ん」と呼んだり、さらに関係が煮詰まる(?)と「ふう」を省略して「○ん○ん」と呼んだりする子もいたりして、これを駅前など公共の場で大声で叫ばれたときには知らん顔して逃げようかと思ったりするのだ。
名は体を表す。しからばわれわれリーダーはいかなる体を成すべきか。こどもたちにとっては昔なじみの友だちと同じように、いつまでも呼び捨てにできる関係を作っていければと願っている。ただし本名ではなくリーダーネームで!!
(2008/10月号)
蛇足
世の中の常識が変わるとともに、読み方も変わっていくのでしょう。そのうちにアバターの名前を使うようになるのかも。本名にリーダーネーム、アバターネームまで増えたら、この先物忘れがひどくなったときに自分の名前がわからなくなってしまうのではないか、はたまた葬儀の際にはどの呼び方で送られるのかというのが目下の心配事なのであります(笑)