「はい、みんな来ましたかぁ! 早くしてください。いいですか?」
森に上級生女子の声が響き渡る。何か登校班の班長さんか学級会の委員長さんのようである。そして、紙に描かれたモンスターの絵を掲げてひとこと。
「チャラランっ! ぬすっとウサギがあわられた。こいつは案外強いから4人でふたり勝たないとダメ~っ!」「え~っ! それキツイわぁ、半分やんけ!」
実は今日の冒険クラブはロールプレイングゲーム(RPG)をしているのだ。ビデオゲームにあるような敵を倒しながら旅を続けて、最後にボスキャラをやっつけるとOKっというあれだ。もちろん森の中にゲーム機やディスプレイを持っていっていくわけではないし、30人がスマホの画面を見ているわけでもない。冒険クラブのRPGは完全実写版等身大のリアルゲームなのだ。今回は卒業間近の6年生たちにモンスターチームをしてもらうことにした。まずはモンスターの絵を描くところからお願いしたのだが、「オレ、これやったら描けるし」とひとりの男の子がスターウォーズのキャラを上手に描いてくれた。その結果、スライムやスノーモンにまじってなぜかカイロ・レンが登場するという豪華な陣容とあいなった。
5年生以下の子どもたちは3つの勇者グループに分かれて、それぞれに「命カード」を10枚づつ持ってゲームがスタートした。勇者チームの少し先をモンスターチームが歩き、間合いを見計らってモンスターを登場させるのだ。最初はへぼいスライムが出て来た。勇者たちはモンスターとじゃんけんで勝負しながら旅を続けるのだが、じゃんけんに負けてしまうと「命カード」をとられてしまうのだ。スライムは5人が勝負してふたり勝てばクリアというレベルだが、だんだんとモンスターが強くなっていき4人でふたり、5人で3人勝たないといけないというふうにレベルがアップしていくわけだ。このレベルも子どもたちが考えて少しずつ難しいレベルを設定してくれた。そしてやはり旅のアイテムしてどうしても剣がほしいところ。用意していた剣を武器屋で売ろうかとも思ったが、それにはお金が必要になってしまう。どうしたものかと悩んでいると、モンスター役のひとりが「じゃぁ、剣を森に隠しといたらどう?」とナイスアイデアを出してくれ、剣は森の一角に隠して勇者たちに探してもらうことになった。
自分たちでルールが作れること、これこそが画面の中のゲームと実写版ゲームの最大に違いだ。確かにゲームの画面の中でもあらゆる組み合わせやパターンが用意されてはいる。しかしそれはあくまでもそのようにプログラミングされた中で遊ばされているわけだ。自分たちでルールを作って主体的に遊んでいるのか、気が付かないままに受動的に遊ばされているのかの違いともいえる。楽しいという一面では同じだが、案外とこの差は大きいのではないかと思うのだ。
昔の草野球では人数がそろわなかったら二塁のない三角ベースにしたり、透明ランナーなんていう制度もあったりしたし、鬼ごっこでも小さい子どもはごまめと呼ばれて特別ルールが適用されたりしたものだ。きっとみんなで楽しく遊ぼうという子どもなりの知恵だったのだろう。しかし、画面の中のゲームでは状況に合わせてルールを変えるという知恵が生まれる余地はなく、大事なのはゲームに関する知識や情報量と指先の器用さでしかない。
ゲームも終盤になってくると勇者チームの中には命カードが残りわずかになってしまうところも現れた。最後のボスキャラ「キングリザード」と勝負をするためには、最低5枚のカードと剣を持っていることが条件なので、これでは最後までたどりつけない。「あかんやんなぁ。このままやとあいつら負けよるやん…そうや親切な天使かなんかが現れて、命カードくれるっというのはどう?」「そうやな、そうしたろか」モンスターチームの面々、実はどうしたら最後には勇者チームが勝ってめでたしめでたしで終わることができるかを考えているのだ。いいねぇ、これって愛だろ、愛!
モンスターチームの愛で最終ステージまでたどり着いた勇者チームたち、最後はグループひとりの代表がモンスターとタイマン勝負、じゃんけん3回戦で2回勝ったらめでたく勝利のはずが、3グループとも完敗!ゲームオーバーとあいなった。じゃんけんや勝負はそのときの運まかせ、でも6年生たちここぞとばかり自分たちの力を見せつけてオレたちがいなくなったあとをしっかり支えろよと鼓舞していたのではないかというのは、ボクの勝手な思い込みだろうなぁ。
(2017/03月号)
蛇足
自分たちで遊びのルールを作るということは、より積極的に遊んでいるということ。複雑化したテレビゲームでは膨大な選択肢から選んで遊んでいる=「遊ばされている」ということでしかありません。これって世界に対して主体的に関わるかどうかというとても大きな問題に関係しているように思うのはボクだけでしょうか?