Parfum de concombre

こどもって面白い

 「…こうしてじっさまとばっさまは幸せにくらしたということです。めでたしめでたし…さぁお帰りの準備してお外に行こか。忘れもんしんていてや」絵本の読み聞かせが終わって今日の幼児クラスもおしまい。こどもたちはカバンや着替えの入った袋を持ってお母さんが待つ園庭に上がっていった。室内を見渡すとあちらこちらに忘れものがぽつぽつと残っているいつもの光景…しかも違う柄の靴下がふたつ、お名前も書いてなくて困っているとひとりの女の子が寄ってきて靴下をクンクンくんくんとにおぎ始めた。「この靴下はケンちゃんので、こっちはクンクン…アイちゃんの」「えーーーっ! 匂いでわかるの?」「うん、わかるよ。返してきてあげるわ」とあっけにとられているボクの手から靴下をとるや園庭に上がっていった。

 そういえば、おやつにおにぎりを出した時にも「このおにぎりふうちんの匂いがする」といってた子どもがいた。もちろん念入りに手を洗って、がっつり塩を手にまぶし倒してから握ったので衛生面では問題はないはずなのだけれど、そういわれてしまうとボクの手の常在菌は最強かと思ってしまったのだった。

 ほんのちょっとした香りにも敏感に反応できるこどもたちの嗅覚は生物的には危険を察知する能力に優れているということなわけで、われわれ大人は怠惰な日常と引き換えに生きものとしての能力を失ってしまったといえるのかも知れない。思い返してみると、自分がこどもだったころにはいろんなものや場所が匂いとともにあった。仕立ての仕事をしていたおじいちゃんの部屋はちょっと綿ぼこりの匂いと新しい生地についたのりの匂いにミシンの油の匂いが混じっていて、仕出し弁当屋の親戚の家はすし飯のお酢の匂い、市営図書館の文学全集が並んでいる本棚あたりからはインクとかび臭さが混じった匂いがしていた。大人になってそんなことも日常になるととりたてて匂いを意識しないのかも知れないけれど、こどものころはすべてが初めてなので強烈な記憶として残っているのだろう。大人になってからもバリ島の空港に降り立った時には甘ったるい香辛料の香りが感じられたり、韓国の空港ではキムチのような香りにビックリしたことがあった。

 匂いの感じ方は人それぞれで違っていて、いい香りと感じる人もいれば嫌な匂いと感じる人もいる。それは遺伝的な要因やその時の体調、さらに食生活や生活の経験や体験などによっても感じ方が違うかららしい。実は靴下とチーズの匂いには「イソ吉草酸」という同じ成分が含まれているので、チーズが好きな人にとっては靴下の匂いもそんなに嫌な感じはしないのだそうだ。また匂いはいろいろな成分が混じり合って出来ているので、バニラ(バニリン)に靴下の匂い(イソ吉草酸)を合わせるとチョコレートの匂いになるらしい。ということは、夏の子どもの忘れ物の靴下をビニール袋に入れてそこにバニラエッセンスを一滴たらすと…ゴディバのチョコレートのような香りになるってことか!(誰か実験してみて下さい。ボクはこわ過ぎててできません!)

 「2-ノネナール」なる成分はきゅうりの匂いがするらしいのだが、実はこれ嫌われものの「加齢臭」の成分なのだ。つまり「おっさん」⇒「加齢臭」⇒「くさい」という三段論法は意外と思い込みによるもので、色眼鏡なく嗅ぐとそんなに嫌でもないのかも知れない。イメージや思い込みが邪魔をしているのだろう。これからは「おっさん」⇒「きゅうりの香り」⇒「さわやか」というイメージ戦略を展開すれば、世のおやじたちも救われそうな気がするがいかがだろう。

 ところでプレイスクールに極度のきゅうり嫌いのリーダーがいるのだが、彼が齢を重ね加齢臭を発散し始めたらどんなことになるのだろう。自分が発するきゅうり臭さに悶絶してブッ倒れるのか、それともそれを機にきゅうりが食べられるようになるのかなどと心配しながら、ボクは思わず自分のわきあたりをくんくんしてきゅうりの香りのチェックしてしまったのだった。

(2019/12月号)

蛇足 コロナ禍を経て、他者と距離を置くことがあたりまえになってしまいました。生きものとしては香りもきっと大切なコミュニケーションツールのひとつだと思うのですが、非接触社会では生きものとしての能力をますます失って行きそうですね。ちなみに女の子が「お父さん臭い!」と言ったりするのは、遺伝子的に組み込まれた戦略なのだとか。自分とは遺伝子的に離れた人の匂いを心地よいと感じてしまうだそうです。多様な遺伝子を次の世代に残して生き残る企みだと言われています。なので、わが子に言われたときは、この子が言っているのではなく遺伝子が言わしめているのだと思い耐え忍ぶことといたしましょう。Parfum de concombre きゅうりの香水

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