さくら散る

こどもって面白い

【まくら】ラグビーワールドカップフランス大会がいよいよ始まった。日本は4位以上を目標に明日(9/10)チリ戦に臨む。前回の日本大会では多くの「にわか」ファンが生まれるなど大いに盛り上がったが、今回もみんなの声援を海の向こうに届けたいものだ。頑張れニッポン!

 南アフリカの2メートル近い大男たちが作る緑の壁に桜のジャージが突進しては倒され、立ち向かっては跳ね返される…ホイッスルが鳴る最後の最後まで攻め続けるその姿に目頭が熱くなり、試合終了ともにボクはなぜか部屋の片隅でほこりをかぶっていたダンベルで筋トレを始めてしまったのだった。ブレイブブロッサムズのワールドカップ2019は幕を閉じた。
 前回2015年の「歴史的番狂わせ」といわれた南アフリカ戦という布石はあったものの、テレビやマスコミが連日騒ぐものだから、みごとにそれに乗せられてボクも「にわか」になってしまった。

 それにしてもラグビーは実に泥臭く人間臭いスポーツだ。人と人がひとつのボールを目指して体と体でぶち当たる。ボールゲームなのにほとんど格闘技だ。人と関係することを極力さけ、隣の人とでもメールでやり取りするという今様な関係性とは全く反対、リアルに痛みを伴う関係だ。ここで行われていることは体のでかいやつ、力の強いやつ、脚の速いやつが勝つ世界。ある意味では理不尽な世界でもある。しかし、そんなゲームを観て、人々はココロを揺さぶられる。それは知識や理性で納得しているのではなく、生物として魂を揺さぶられる経験ではないのだろうか。派手なトライシーンと同じくらいに、身体を張ってその道をあけたフォワードに喝采するのは、共同体のために汗することが尊いと遺伝子レベルで刷り込まれている「人間は社会的存在である」という琴線に触れるからではないのか。身勝手なリベラルと称する者が他者との間に溝を掘ることを薦め、コミュニティーがバラバラになろうといている今だからこそ、「ワン・フォア・オール / オール・フォー・ワン」がまだまだ多くの人の心に届くということにちょっと安堵したのだった。

 ところで、せっかくの機会だからと楕円球を買って小学生クラスで出してみたら、意外とラグビーっぽいことをして遊んでいた。子どもたちなりに「前に投げたらアカンねんで」とか「落としたらアカンって」とかちょっとはルールを知っていたりするのにはビックリさせられた。そういえばサッカーJリーグが始まったころ(1992年…えっ27年も前なの…)には、それまでの敵味方関係なくボールに団子状態で集まっていた幼児たちでさえ何となくサッカーらしいことができるようになったのは、きっとテレビなどでサッカーに触れる機会が増えたからだったのだろう。見ることが出来ることの第一歩だ。

 サッカーは今や社会の中でひとつの文化となっているし、バスケットボールもすでにプロ化されたくさんの観客を動員している。ラグビーもこの先にはプロ化を目指しているともいう。いろんなスポーツがプロ化される背景には、ひょっとすると今はサッカーしかないtoto(スポーツくじ)をそれぞれの種目ごとに作って、高額当選金に目がくらんだ国民からお金を巻き上げて国の借金返済にあてるつもりじゃないでしょうね?…なぁにぃ~っ?キャリーオーバー3億6600万円だとぉぉぉっ!? これは買わないという選択はないな!

(2019/11月号)

蛇足
 2019年の日本大会は、世界がコロナ禍で大騒ぎになるぎりぎり前のタイミングで行われました。その後の人と接することが許されない時間を経て、今回また以前のような熱狂のスタジアムが戻ってくるのがとても楽しみです。
 ちなみに子どもたちが遊んでいた楕円球は決勝戦を待つまでもなくどこかに消えてしまい、出てきたのはコロナ禍の活動休止中の大掃除で草刈りをした時でした。コロナ禍があけて子どもたちが戻ってきたときにはすでにラグビー熱は冷めていたのでした。
注)totoの収益金の使い道は、スポーツ文化の振興ということに法律で決まっているので、文中のようなことはありません。

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