するしないできるできない

キンダー

 よいしょ!ぺったん!こらしょ!ぺったん…恒例の春を食する家族プログラムが行われ、摘んできたヨモギ入りの草餅がつきあがった。ホカホカのお餅を手際よく切り分けていたボクを見てひとりの子どもがポツリ、「何でそんな上手にできるようになったん?」「えっ?…それはやね…ここに来るまでに何年かかっていると思うねんな。でもこんなこと上手になっても何にもならへんねんけどねぇ」そう、今でこそお餅つきをする機会もほとんどなくなっているが、少し昔まで日本中でこんな光景はあったわけで、餅を切り分けるなんて田舎のおばちゃんだったら誰でもできたに違いない。いまや餅つきは機械がしてくれるし、ただ食べたいだけだったらコンビニでも売っている時代だ。柔らかいお餅を親指と人差し指で作った輪っかできゅっと絞って切るなんてことはできなくても生きていける。

 最近、できなくなったことが増えている。①ひとの電話番号を憶えなくなった。うちの奥さんの番号も怪しいので、大地震が起きたりしたら、連絡の取りようがない。②自動車から降りるときに自分で鍵をかけなくなった。今の車は実に親切にできていて、リモコンのボタンを押さなくても車から三歩ほど歩きだしたら勝手に鍵がかかってくれる。おかげでそんな機能のない車を使っているときに、車に戻ったら無施錠だったこともたびたびだ。③知りたい情報を本にあたって探すことをしなくなった。もっといえば自分の脳みそに知識を蓄積しようとしなくなったといってもいい。必要な情報はスマホで検索すれば何とかなってしまう。いまや脳みそは人の外部であるネット上にあるのかも知れない。では体の上にあるこの頭は薄くなりつつある髪の毛をつなぎとめておく以外に何の役割があるのだろう。

 確かにテクノロジーの進歩はわれわれの生活を劇的に変化させてくれたし、機械が自動でしてくれることが増えて人間はいろいろなことをしなくてよくなった。先日新聞に出ていた最新式の洗濯機は、全自動で洗って乾燥してくれたあとに自動で衣類をたたんでくれるのだそうだ。人間は一生のうちの1ヶ月を洗濯物たたみに使っているともいわれているが、テクノロジーは人を苦痛な労働から解放してくれる。では得られた自由な時間を使って人間は創造的な仕事をすることができるのだろうか。案外、暇つぶしにスマホをいじったりゲームをしたりしているような気がするなぁ。人間なんて必要に迫られなければ何ごともしないような気がするし、しなければ出来るようにもならない。

 いままで嫌だろうがしなくてはならなかったわれわれ大人にとっては、テクノロジーの発達は便利なことと喜んでよいのかも知れないが、生まれた時から当たり前のように便利な世界に住んでいる子どもにとっては何もできないまま大人になっていくわけで、ひょっとするといまの子どもたちは大人になってもTシャツひとつたたむことすら出来なくなるのだろうか。日本の親切なトイレなど、ふたは勝手に開くし勝手に流れるし、そのうちにスボンは勝手におろしてくれお尻を勝手に洗って勝手に乾燥してくれるようになるかも知れない。そんな便利な未来に生きる子どもたちが、自分のしたことに責任を取る「自分の尻をぬぐう」というメンタリティーまで無くしてしまったらヤバいような気がするなぁ。

 さらにある調査によると、10~20年先には日本の労働人口の49%が就いてる仕事はロボットによって取って代られとさえ言われている(野村総研調べ)。そうなったら自由な時間ができるなどと喜んでいる場合ではなく、無職になって自由すぎる時間に困ることになるやも知れないのだ。まぁわれわれようなアナログな仕事はなくならないような気はするけど、ひょっとすると自動ヨモギ餅切り分け機が発明されたりするといよいよボクも失業するのだろうかと不安になるが、それ以前に20年後も働いていなければならないのかということの方により強い不安を感じるのであった。さすがに子どもと森を走り回ったりはできひんやろなぁ…えっ?その頃にはプレイワーカー用パワーアシストモビルスーツができてるから大丈夫ですって…マジか…!?

(2016/05月号)

蛇足
 ちまたではいよいよAIが小説も書いてくれ、動画も作ってくれるのだとか。人間は苦役から開放されて創造的な仕事をするといわれていたのに、ここまで機械がしてくれる時代になろうとしている。結局はエッセンシャルワークやアナログな仕事が人間がするべきことなのかも知れません。日々の暮らしを自分で作るってことに楽しみを見出していくのが良いのかもね

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