「さぁてと、お話し読もうかなぁ」プレイスクールの幼児クラスでは、お帰りの前に毎回絵本の読み聞かせをしていて、今日は普段はこのクラスには出ていないボクの年に一度か二度の出番の日なのである。「今日のお話は…じゃ~ん!」「それ知ってるぅ、その本、うちにあるもん」「そうやで、じごくでオニに食べられるんやで」と、毎度のことながらオレは知ってるぜというご自慢攻撃を軽くいなしながら拍子木を打って「はじまり、はじまり~っ!」チョンチョンチョン…チョン!
「とざい、とうざ~い、かるわざしのそうべえ、一世一代のかるわざにござ~い…」と今日の絵本はおなじみの『じごくのそうべえ』(絵:田島征彦)である。このお話はもともと上方落語の古典で、三代目桂米朝師匠によって発掘された『地獄八景』または『地獄八景亡者戯』(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)をもとに作られた絵本なので、ボクが読むときは工房の木っ端を拍子木代わりに落語か講談風にして演じることにしている。
「知ってるぅ~っ!」と言っていたこどもも、いざお話が始まると面白い筋書きを知っているだけに、吸い込まれるように絵本の世界に入っていく。何といっても、人食い鬼の「じんどんき(人呑鬼)」に食べられたそうべえとその仲間が、その原の中で大暴れするところが一番盛り上がる山場だ。腹にたれているひもをひっぱる人呑鬼とくしゃみして、せんきすじに通じる棒を引くとお腹が痛くなり、たまをこそばかすと大笑い、そして屁袋を蹴るとおならをするという場面を面白おかしくおおげさに読み聞かせると、こどもたちは大笑い。「へっへっへっくしょん!…イタタタタ!…わっはっはっはっ!…ぶっぷぅぅぅ~っ!」やっぱり屁袋は偉大です!
こんな時に見せてくれるこどもたちの笑顔がボクは大好きだ。まるで絵本に引力があるかのように、絵本の世界に入り込み、絵本の中の喜怒哀楽を自分のことのように感じて、素直に表現する瞳と顔…こんな素敵な顔が見られるのは絵本を読んでいるものの特権です。だから読み聞かせは止められない。
「なぁにその医者も、いまごろきっと、生き返ってはるわ…おーしまい!」とお話しが終わるや、年長の女の子がすすっと近寄ってきてひとこと。「もう、またこのお話やもん。これ前も聞いたしぃぃっ!」とクレームがつく。しかし、「また」とか「前も」とかいわれても年に一度しか読んでないし、幼児クラスにいる二年間の間に二回しか聞けないんやけど…
「とざい、とうざ~い、首尾よく『じごくのそうべい』最後まで語り通せましたなら、ごかっさいを、千番に一番の兼ね合い、獅子の子落としとござあい…ちゃちゃ、ちゃんりん、ちゃんりん、ちゃんりん…どどんっ!」
( 2012/04月号)
蛇足
きっとボクのような絵本の読み方はその筋の方から見れば邪道なのですが、この「じごくのそうべい」に関していえばもともとが落語で、米朝師匠もさまざまな時事ネタを取り入れて話されていたそうです。賽の河原が京都嵐山に見立てられたり、三途の川の渡し船の場面にポートライナーやウォーターライドが登場したりとその時々で脚色されていたのだとか。もちろん絵本作者の意図は尊重しなければなりませんが、子どもたちとのコミュニケーションツールとしてはこんな読み方もいいのかなと思ったりします。
「じごくのそうべい」はボクの持ちネタのひとつなので、こどもウケもよくてボクの読み聞かせを聞いてからお母さんにせがんで買ってもらった子も三人ほどいます。「買った本を読んでもね、そんな読み方じゃないっていうんよ。ふうちん、どんな読み方してたん?」とおっしゃるお母さんも。
すみません。邪道な読み方です。何せ人間がイロモノですから…