気分次第で責めないで!

こどもって面白い

 きれいな五月晴れの空のもと、少しづつ色濃くなってきた緑が美しい。こんなときは何だか気分もとてもいい。うきうきしたような、じっとしていられないような気分になるものだ。

 しかしそんな気分とは裏腹に「五月病」なんていうものもある。実は小さいこどもも病気とまでは言わないけれど、テンションの下がるこどもも出てくる季節なのだ。夢と期待を胸に迎えた新学期、いつもペース配分など無用のこどもたちは4月最初からスタートダッシュ! 見ることすること何もかもが新鮮で楽しくてたまらないといった気分でゴールデンウィークを迎えると、さらに追い打ちをかけるように楽しいことが目白押し! 幼稚園や学校も休みだしと夜更かししてでも遊び倒し、朝はゆっくり朝寝坊…あぁわが人生楽しすぎる…。

 そして迎えた連休明け、こどもは寝れば疲れも取れるとはいうものの、さすがにたまりたまったお疲れに気分もさえず、ほんのささいなことでご機嫌斜め! 友だちとうまく遊べずびぇ~んと泣き、ハサミがうまく使えないとリーダーのせいにするといった具合。もうほとんどいちゃもんの世界である。

 気分がさえないと何もかもが面白くない。「自分が悲しいのではなく、世界が悲しみ色を伴って立ち現れるのだ」といったのは哲学者大森荘蔵だが、ひょっとするとまさにこどもはそんな気分なのかも知れない。世界が悲しいから自分も悲しいのだ。確かにこどもを見ていると、ほとんど「気分」でしか生きていないように感じることがある。泣いて笑って怒って…気がついたら寝てる。そして目が覚めたら昨日のことはすっかり忘れて再スタート! 彼らにはたいへん申し訳ないのだが、ゼッタイに理念や信条などに基づいて生きているとは思えないのだ。

 気分がかわると世界もかわる。先の哲学者は「悲しいときは悲しみ色の色メガネで世界を見ているのだ」とも言っている。ならばこどものメガネを楽しい色メガネに掛け替えてあげれば気分もすっきり、笑顔に戻るんじゃないだろうか。だからこそ古来より伝わる最強の呪文は今の時代にも有効なのだ。『痛いの、痛いの、飛んでけ!』

 こどもとはそんな気分で生きている存在なのだから、大人たるものあまり子どもの言葉に一喜一憂せずにどっしりと構えておきましょう。こどもが泣いたら「うんうん泣きたい気分なのね」、わがまま言ったら「言いたい気分なのね」 でもだからといって聞き流すんでも適当にあしらうわけでもなく、要は気構えの問題です。

 まぁ大人とてエラソーに理屈だけで生きているわけじゃありません。こどもの気分次第の攻撃でこちらのメガネにも色がつきそうになった時には、五月晴れの空を見上げたり、山の緑を見て気分転換。そしてこどもと一緒に呪文を唱えましょう。

 「悲しいの、しんどいの、飛んでけ! おもろいの、楽しいの、やって来い!」

(2009/06月号)

蛇足
 大学時代、酔っ払うと「人は悲しいから泣くのではなく、涙が出るから悲しいんだぁ」と毎回のように大泣きをする後輩がいました。心理学では涙が先で感情があとから追いかけてくるという「ジェームス・ランゲ説」として知られていますし、そこから派生した「顔面フィードバック説」というものもあります。これは笑うという行為が幸福感をもたらすというもので、まさに笑う門には福来るといったところでしょうか。
 大森荘蔵(1921-1997年)は、われわれが普通に考えている「二元論」を超えるべく「立ち現れ一元論」を提唱した日本の哲学者です。先に亡くなった坂本龍一との対談集「音を視る、時を聴く」という本をわくわくしながら呼んだ覚えがあります。まぁ中身はあんまり理解できてなかったですけど…

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