ある日の土曜日、いつも工房を使っている発明クラブの面々がお出かけプログラムでお留守のときがあった。「よし、今日は発明さんがいいひんから工房でもの作りしようぜ!」と冒険クラブの子どもたちに声をかけると、「やった~っ! 剣、作っていい?」「ああ剣ね、材料があったら作ったらええで」「よっしゃ~っ! めっちゃかっこいいの作ったんねん!」工房に入った子どもたちは慣れない手つきで糸のこで木を切り、カッターで削って紙やすりでツルツルにして、ちょっとかっこいいツバをつけて自分の剣を作り上げて、戦いごっこのためにグランドに走って出ていった。それにしてもすごい集中力だ。工房がものめずらしいということもあるのだろうが、普段は森の中で身体を使って走り回って遊んでいる子どもたちの違った一目を見た思いがした。キミたち案外やるじゃないの!
実は普段の発明クラブでは、こんなふうに工房で子どもたちがモノ作りに興じている姿があまり見られなくなってきていて、どうすればモノ作りの楽しさを子どもたちに伝えていくことができるのかがリーダーたちにとって大問題となっているのだ。モノ作りの材料があって、道具があって、作り方のアイデアを提供してくれるリーダーがいるという環境で、それでもモノ作りではなく鬼ごっこやサッカー、砂場遊びにいってしまう子どもたちをどうすれば工房に振り向かすことができるのかという難問を解決する妙案はなかなか思い浮かばない。
考えてみれば何もかもがそろい過ぎているこの時代、家に帰ればミニカーにお人形にビデオゲームが出迎えてくれるし、100均にいけばおもちゃだって簡単に手に入る。子どもたちのいまの環境では、何も苦労して自分で作ったりしなくても欲望は充足するのだ。その昔の子どもたちは肥後守(注:昔の折りたたみ式カッターナイフ)を器用に操って何でも作ったというし、身の回りの物で工夫して遊び道具を作っていたというが、それは遊び道具が何もなかったから必要にせまられて作っていたのかも知れないし、ありあまる時間の手慰みとして小刀をいじっていただけかも知れないけれど、何ものかを作り出す喜びは感じていたのは確かだろう。おもちゃてんこ盛りの今の環境では自分で作ろうというモチベーションは生まれないし、塾や習い事で時間はないうえに、「安心安全」という耳ざわりのよい言葉を使って責任回避をたくらむ大人によって刃物さえ持たせてはもらえない。はたしてかような環境で育った子どもたちが、『もの作り大国にっぽん』といわれてきてこの国を支えていってくれるのか一抹の不安を感じるのだった。
冒険クラブの子どもたちはひとしきり戦いごっこで遊んで、帰る時にも自分で作った剣を自慢気にお母さんに見せていた。普段はできないことをしてよほど嬉しかったのだろう。でもそのあとまた工房でもの作りがしたいという声は聞かないので、たまにするからよかったのでいつもだと惰性になるのかも知れない。ということは、もの作りをしない発明の子どもたちはいつでも工房を使えると思っているから作らないのか!だとしたら、たまにしか工房が使えないようにしたら必死でもの作りをしてくれるかも!おぉそうだ、冒険クラブと替わりばんこに使うようにしたらよいではないか、ということに思い及んだボクの頭には『参勤交代』という文字が浮かんでいたのだったが、何もそこまで強権的にもの作りをしてもらわなくても、いつかきっと工房という環境がいかにもの作りにとってパラダイスなのか気がついてくれることを祈ることにしたのだった。しかしたいていの場合、かようなことは失ってから気がつくことの方が多いんですけど…なので、お父さんお母さん、お子様が発明で何も作らないで帰ってきても長い目と大きな心で見てあげてください。
ところで2015年の今年の漢字は『安』なのだそうだ。最初聞いたとき、とにかく明るい安村が審査員に手を回したのかと思ったが、全裸の彼には袖の下を渡すこともできないので、やはりこれは首相官邸による政治的策略に違いないと思い直したのだった。「安心してください。そのうちに作りますから!」
(2016/01月号)
蛇足
これからの時代のもの作りは、3Dプリンターで何でもできちゃうんだそうです。パソコンとマウスがあれば、自分の手を汚さなくても作れるらしいのです。ボクのような昔人間にはとてもついていけそうにありませんが、子どもたちにはまずはリアルに手を動かす楽しさを知ってもらいたいですね。
今年の漢字、当時は安倍政権時代で安保見直しなどで世が揺れていたのでした。とにかく明るい安村さんは最近なって海外進出、かわらぬ芸風で爆笑を誘っていました。
「 Don’t worry, I’m wearing! 」「 Pants! 」