個人差はありますが…

ファミリー

「才能が開花する習い事~将来必要な力が身に付く!」「子どもが輝くために親がすべきこと!~潜在能力を引き出す最強メソッド」「子どものやる気は食生活で決まる!~元気を育てる正しい食事」「息子・娘を入れたい学校」「お金に困らない子の育て方」「子どもが穏やかに育つ家~頭のいい子の勉強部屋」「親に言わない子どもの本音」「息子と娘のハローワーク」「広がる教育格差に負けるな」「特集:わが子が輝く学校選び」「発表!「東大・京大」に入りやすい都道府県ランキング 1位奈良県、2位京都府、3位兵庫県……」「頭のいい子が育つ家のルール~秀才が生まれやすいのは3人兄弟・専業主婦より共働き家庭に軍配…」

 何とも刺激的な文字が躍っているが、これらは小学生から中学生の子どもを持つファミリー向け雑誌の見出しだ。この手の雑誌が昨年から相次いで創刊されていて結構売れているという。乳児から幼児向けの雑誌はすでに乱立しているけれど、それよりも上のこの年齢層のものはいままでなかったので新しい分野になる。もっとも「たまごなんちゃら」を読んだ読者が、子どもの成長とともに「ひよこなんちゃら」を読んでくれて、次はここの読者層につながっていくという出版社の周到なマーケティング戦略が見え隠れしたりもする。

 内容的には親子で何かをするという視点が重視されていて、それは勉強であったり遊びであったりするのだけれど、特に父親の役割が強調されているところが新しいのだそうだ。曰く、リストラや終身雇用の終焉で家族と過ごすことに価値を見いだす父親たちがターゲットなのだそうだ。

 しかしそうはいってもお父さんたちも忙しいわけで、仕事で疲れて帰ってから「父子で読み解く中学入試問題2005」をしても、そんな昔に勉強したことなんて覚えてないし、重箱の隅をつつくような試験問題が解るはずもなく、「受験のマネジメント~父の力量が試される!」といわれても要するに力量=経済力=稼ぎなわけで、これはこれで立つ瀬がないではないか。

 どの雑誌もとっぴなことが書かれているわけではなく、ある意味では当たり前の話が多いという。子育ての素朴な疑問を昔ならばおばあちゃんや近所の人に答えを乞うて安心できていた部分を、地域がなくなった今はこんな雑誌が肩代わりしているという面もあるのだろう。

 しかし近所のおばちゃんの話とマスコミが決定的に違うのは、それが個人的体験の話ではなく世の中の平均値として示されるところにある。このアンケートとか実態調査の結果の数値なんていうやつはミョーに説得力があったりするものなのだが、実はその平均像に実体はないということには気をつけなければならない。ついついわが家の実情やわが子と平均像を比較してしまいたくなるものだけれど、だからといって平均的家族像や子ども像が幸せなのかというとそうでもなそさうな気がするのだ。だからこの手の情報を見るときは「ふふ~ん、世の中はこんなもんなのね。でもこの調査の質問項目ではわが家の幸せ度やわが子のいいところは計れないわね!」くらいに見ておく方がいいのだろう。

 いろんな見出しの中に「才能が開花する習い事~将来必要な力が身に付く!」というのがあって、これならプレイスクールの宣伝に使えるかもと思ったりもしたが、そんな力を身につけるために遊ばなければならないというのは本末転倒に違いない。ボク自身は、遊び場であるプレイスクールは実は最強の学びの場だと思っているけれど、プレイスクールに来た子どもが将来どんなふうになるかなんて約束できませんからねぇ。「才能が開花するかもしれない習い事~将来必要な力が身に付くかも…かも…かも…かも!?」くらいやったらいえるねんけど…これじゃとても宣伝にはならんなぁ!

(2006/12月号)

蛇足
 人間というやつはどうも平均値なるものを気にしてしまうようで、それを数字で見せられたりすると妙な説得力をかんじてしまうものですが、その数字は調査方法によって簡単に変わってしまうものなのだということを肝に銘じて見ておくほうがいいのでしょう。
 かのアルバート・アインシュタインは、「大切なものすべてが数えられるわけではなく、数えられるものすべてが大切なわけではない」と言ったのだとか。数字のマジックにはご用心を!
 そして、それ以前にうちのオカンがよく言ってた「よそはよそ、うちはうち」という世間とのスタンスが大事なのかも知れませんね。

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