スキマに遊ぶ子どもたち

こどもって面白い

 「きゃゃゃゃゃ~っ!」「うぉぉぉぉ~っ!」「どりゃぁぁぁ~っ!」「ひゃはっはっはっはぁぁぁ~!」言葉ではとても表せないような奇声嬌声が夜の森にこだましている。これは決して夜の動物園とかではなく、小学生クラスのデーキャンプの様子なのである。例年であればワンナイトのキャンプ&お泊り会で夜中じゅう遊び倒すのだが、今年度は新型コロナの影響でお泊りなしでの活動に制限して行っているのだ。それでもあたりが暗くなり懐中電灯の光だけが世界を照らす中、子どもたちはテンションMaxである。

 プレイスクールという遊び場のデーキャンプとはいえ、こどもたちにお手伝いしてもらわなければならないこともある。ごはんを焚くための薪集めや、火の番はしてほしいし、できればリーダーが用意した夜のプログラムにはノッテもらいたいが、それ以外の時間は基本的にはフリータイムだ。そんな空き時間を見つけては、暗がりの中での鬼ごっこやサッカー、おやつ交換のもぐもぐタイムなどを子どもたちは全力でこの場を楽しんでいる。そういえば学校の授業と授業の間の短い「休み時間」も子どもたちにとっては「遊び時間」だ。そう子どもたちの遊びは、そんな時間と空間にこそ生まれるのだ。それはシステムとシステムの間であり、主たるものと主たるものの間、仕事や緊張から解放された間、空間的時間的な間に生まれる「スキマ」と呼んでよいものだ。

 実は小笠原浩方(元プレイスクール協会理事長)は、80年代には子どもたちの遊びがそんなスキマに生まれると指摘しており、またスキマを失ったシステム化社会の肥大が人間に及ぼす影響に警鐘を発していた。スキマは遊びだけではなく、「人間らしさ」の生み出すものとして大切なものなのだ。

 閑話休題。少し前に「人体最大の器官が発見された」というニュースがあった。いままでは皮膚が一番大きな器官ということになっていたのだが、それよりも大きなものが見つかったというのだ。急に新しい器官が体の中にニョキニョキと生えてきたというわけではなく、「間質」と呼ばれる細胞と細胞の間の体液に満たされた空間がそれだというのだ。いままでは細胞を結び付けるような結合組織としてスキマを埋めているだけと思われていたものが、よくよく調べてみると間質を満たしている液(間質液)の中を化学物質が行き来していたり、老廃物をお掃除していたりするということが分かったのだ。つまり何らかの役割を果たしているのだから器官と呼んでもよいだろうということだ。

 これに類したことはわれわれの脳の中でも起こっていることもわかっていている。脳というとニューロンやシナプスなどの中を電気的な信号が飛び交っているようなイメージ、コンピューターと同じような機械的なイメージがあるが、それらのニューロンなどの周りにある脳間物質でも、身体の間質と同じような役割があるらしいのだ。脳間物質の中を流れる水が脳の中のお掃除をしてくれていたり、化学的な物質がこの水の中を伝わることで「気分」まで変化するというのだ。計算したり命令を出したりするシステムとは別に、実は人間らしい部分はこの脳の「スキマ」が担っていることになる。

 そんなスキマのことを知ってか知らずか、夜の暗がりを走り回った子どもたちは、最後には焚火で作った焼きマシュマロをパクついて大満足、脳内エンドルフィンMaxで家路についたのだった。やっぱり「スキマ」って大事だよなと改めて思いながら片付けをしていると、あちこちのスキマから手袋やら食器入れの袋やら五徳ナイフのカバーなどの忘れものを大量発見。これも緊張感から解放された「スキマ」ってことなんですかねぇ…

(2021/04月号)

蛇足 何もなさそうな「スキマ」や「間」の意味や重要性に目を向けられるためには、こちらに余裕やゆとりが必要なのかも知れません。やれ時短じゃ、タイパだといわれてるこの時代には見落とされてしまいそうですが、ゼロイチの間に大事なものがあるような気がするのはボクがアナログネイティブだからでしょうか?

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