チャーハンの隠し味

こどもって面白い

 ある夜のこと。ブルルルゥゥゥゥッ…プレイスクールの森に響くエキゾーストノイズ、「やれやれ、どっかのやんちゃな兄ちゃんたちでもきたかな?」 実は今夜は冒険クラブのワンナイトキャンプをしているので、できればそのようなお客人との接触は避けたいところなのである。エンジンが止まってしばらくして、暗がりからふたり連れがぬぼぉっと現われた。「こんばんわ。どちらさん?」「あっ!ふうちんやん。久しぶりぃっ!」自分よりも背の高いふたり連れをよくよく見ると、あぁ思い出した卒業生たちだ。もう大学生になっているという。リーダーの部屋に上り込んだふたりに、彼らが幼稚園の頃のアルバムを渡してやると、「かわいかったんや。この頃は…なつかしいなぁ」「こいつ誰やっけ?」と思い出話で盛り上がっている。

 しばらくすると、今度はもう社会人になっている女の子たちがふたりでやってきた。ひとりは幼稚園で仕事をしていて、もうひとりはパティシエをしているのだという。夜のプログラムのナイトハイクで、子どもたちと2時間近く山歩きをしてから、夜中遅くに明日も仕事があるからと帰って行った。

 リーダーの中には高校生になった卒業生もいるし、春から大学院に進学するというやつや、高校生の頃から関わってくれていて三十路をむえようというやつもいたりする。ことキャンプやお泊り会などのイベントの時には、ふらっとOBOGがやって来てさながら同窓会のようになることもしばしばなのだ。

 同窓会といっても年齢に幅があるので、みんなが同じ時期に子ども時代を過ごしていたわけではないが、みんなに共通しているのは、プレイスクールでバカみたいに遊んでいたことや泥だらけになりながら森を走り回っていたこと、そしてキャンプが楽しかったという思い出なのだろう。学校でもないプレイスクールに、彼らがわざわざ足を運んでくれるのは、懐かしさだけではなくきっと自分の歩いてきた道を確認することで、今の自分のポジションを見つめなおしているのではないかと思ったりするのだ。いずれにせよ、彼らにとってここに戻ってくることは何らかの意味を持っているのだろう。

 そして、今回もあいつが来てくれた。キャンプの時だけふらっと現われるあいつも、もう調理関係の仕事についてしばらく経つ。仕事が終わってからなのか、それともわざわざ休んでなのか、とにかくふらっと現われるのだ。

 「おう!久しぶりやん。仕事頑張ってるん?」「うん、やってるで。今日はふうちんにチャーハン食べてもらおうと思って来てん。後で作るな」「へぇ~期待してるわ」

 そして丑三つ時、台所には中華鍋をあおるあいつの姿があった。今回のキャンプで子どもたちと炊いたごはんのお残りで作ってくれているのだが、水加減が悪かったのか火加減がうまくなかったのか、芯ありべちゃめしというとってもおいしい(?)ごはんなになってしまったのだった。ところがしばらくして出来上がったチャーハンは、ちゃんと「炒飯」としてお店で出てきてもおかしくないくらい、ごはんひとつひとつがパラパラとして、玉ねぎの甘さと玉子のうまみが際立つとってもおいしいものになっていたのだった。

「美味いっ! この味はオレには出せんわ!」

 いやホントに美味かったのだ。何よりわざわざ自分のために作りに来てくれたというのがうれしいではないか。あまりのおいしさにおかわりをパクつきながら、僕はちょっとだけうれし涙の塩味も隠し味に感じていたのだった。心に染みるくらい美味かったぜ!

 でも、できれば次はもう少し早い時間に食べさせてくれたまえ。午前三時のチャーハンの食べ過ぎは、さすがにこの年齢の胃袋に堪えます!

(2013/12月号)

蛇足
 コロナ禍もあって人が集うことがしにくい時代になってしまいましたが、その反動でもあるのか「居場所」の大切さもよく指摘されています。プレイスクールが長く続いていたことで培われた「信頼」と「安心感」があったから、こんな関係性が作られたのでしょう。
 さて、次の時代は暇で元気なシルバー世代の居場所つくりでもしようかな?

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