ディス・イズ・ア・ペン

こどもって面白い

 春先から遊びに来るようになった幼児クラスの年中さんたちも、ずいぶんと慣れてきて思い思いにプレイスクールを楽しんでくれるようなってきた。ついこの間まで、お兄ちゃんお姉ちゃんのお迎えの時にお母さんの後ろに隠れて宇宙語(?)にしか聞こえない言語をしゃべっていた子どもがいた子どもたちが、いまやいっぱしの顔をしてプレイスクールを走り回り、リーダーとちゃんと日本語でコミュニケーションしていたりするのだ。リーダー間で「あの子に日本語が通じてビックリした」などという不謹慎な会話がなされたりするほど、子どもたちの言語習得能力には驚かされる。

 2006年の中教審(中央教育審議会)答申で、小学校課程から英語教育を組み込むこと具体的に検討され、2011年からは5・6年生で「外国語活動」が必修化、そして2020年度から「外国語活動」の対象が3・4年生からに引き下げられ、5・6年生は「教科」として完全実施されている。国際化する社会の中でのコミュニケーション力を身につけるために、語学能力は必要なことには違いない。

 さらにこの案を後押ししているのが近隣のアジア諸国と比べても英語の学習時間が少ないという調査だ。確か日本は中国や韓国と比べても開始される学年も遅いし、授業時間も圧倒的に少ないらしい。しかしである。週五日制になって授業時間が足りず、読み書きそろばんすら満足に身につけられない現状で、さらに英語のためにさく時間がはたして現場にあるのだろうか。それにいったい誰が教えるというのだろう。

 確かにバイリンガルの能力を獲得することは望ましいことなのだろうが、早く始めればいいかどうかについては異論もあるらしい。バイリンガルの能力を身につけるピークは4~8、9歳といわれているらしいが、実はこの調査は英語とフランス語が日常に自然な形であるカナダでの話なので、日本で早期に外国語教育をしたからといってバイリンガルになれることを保障するものではない。日常的な会話ができる能力の獲得にはそれほど時間はかからないらしいが、さらに抽象的な思考や敬語、難しい語彙の獲得や表現の能力を得るためにはとても時間がかかる。「年齢相応の国語力」を身につけるのは実はたいへんなことなのだ。この母語をしっかりと身につけるということが大切で、これが曖昧になるとバイリンガルではなく、どちらの言語でも年相応な国語力のない「セミリンガル」という危うい状態になる可能性があるというのだ。

 外国語を習うということはその国の文化を知るためだといわれたりする。まぁ確かに英語の文法や表現方法を勉強すると、ほほぉかの方々の考え方や発想方法はこうなのねと思ったりはするのだけれど、まずは自分の国や母国語を知らないとその比較すらできないだろう。

 コミュニケーション力つまりは会話という面から見ても、自分の思いを伝えたいとか目の前にいる相手のことを理解したいという思いがなければ、単に話し方を勉強しても意味がないだろう。主張しなければとか理解しなきゃとかいう熱い思いがなければ身にはつかないに違いない。逆にいえばその思いがあれば、文法が間違っていようがトンチンカンな単語を使おうがあとは身振り手振りで何とかなるものなのだ。これについては飲み屋で出会ったりするネイティブではないイングリッシュスピーカーの方々との交流で過去に実証済みなので間違いない。しかもお酒が進むほどにスムーズなコミュニケーションが成り立つということも確認済みである。たぶん自分の言いたいことを文法無視して話しているだけなんだろうけど、これが案外通じたりするのだ。

 しかし国際化に対応するというのなら、これからの時代は中国語とかインドのヒンディー語とか中近東からアフリカのアラビア語、ベルベル語、スワヒリ語とかの方がよっぽど役に立ちそうな気がするんだけどなぁ。プレイスクールでも早期中国語講座でもしようかなぁ。「ロン!メンタンピン、ドラドラ! 」「アイヤ~っ!」

(2006/06月号・2023/03月改稿)

蛇足
 アフターコロナなのだろうか、街のあちこちで外国語を聴くことが増えてきました。しかし、これを機に英語を勉強し直そうかとはなかなか思わず、その言い訳のひとつは「自動翻訳」「機械翻訳」が発達したことです。たぶん日常会話は機械がやってくれる時代がそこまできているのでしょう。そうなると外国語を勉強する意味はやはり、それ以上の他者理解や心情共感というところになるんでしょうね。やっぱりまずは日本語の勉強からやな…

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