雑創の森プレイスクールが活動していた雑創の森学園は7月7日、七夕の日が創立記念日になっている。しかも1977年の7月7日、朝7時7分7秒と7が7つも並ぶという、パチンコ愛好者なら卒倒しそうな縁起のいい時刻ということになっていたりするのだ。
幼稚園ではこの日に合わせて作った七夕の笹飾りが揺れていて、短冊には子どもたちの願いごとが書かれている。その子らしいものや、ちょっと意外な一面を垣間見せるもの、何やらシリアスなものなどいろいろな願いが七夕の風に揺れている。
「空飛ぶマントがほしい」「魔法の手がほしい」などという実に子どもらしいお願いごとがあったかと思うと、「お花屋さんになりたい」「ケーキ屋さんになりたい」「電車の運転手になりたい」「トラックの運転手」という将来の職業選択に関するもの、毎年出てくる男の子の永遠の夢「仮面ライダーになりたい」などのヒーロー変身願望、そして「お父さんともっと遊びたい」という心の叫びは多忙を極める父の心に突き刺さる。
小さい子どもに「願いごと」を聞くというのはなかなかに難しいことだろう。先生たちは「お空のお星さまにお願いしてみよう」という問いかけをして子どもたちの言葉を聞き出すのだというが、「願いごと」といわれてもフツーはなかなか困ってしまうだろう。大人なら「世界平和」「家内安全」など当たり障りのないものや「おばあちゃんの病気がはやく治りますように」などといった超越的なものへの祈願となるのかもしれないが、それも子どもには伝わりにくいだろう。かといって「○○ちゃんの夢はな~に?」と聞いてしまうと個人的な願望になってしまう。「大きくなったら何になりたい?」なら仕事になっちゃうし、「いま一番ほしいものはなに?」「どこかに行ってみたいところは?」「いま一番してみたいことってなに?」なんて聞くと欲望あらわな答えが噴出することだろう。たぶん小学生では「宝くじが当たりますように」とか「大金持ちになりたい」などといった即物的な願望が笹の葉に揺れるに決まっている。
そんな中で「もっとお母さんのお手伝いができるようになりたい」という短冊があって、何やらほっとした気分になったのだった。家族のために自分が成長したいという思いには、自分から家族、そしてその先にある社会に向かうベクトルが感じられたのだった。あるいは「大人になったら何になる?」ではなく「どんな大人になりたいか?」という本来は教育が一番大切にしなければならない問いかけに答えているように感じられたからなのかもしれない。
偉人伝ではないが、こんなふうな人になりたいとかこんな生き方をしたいとかいったことに願いをかけて子どもたちが成長できる社会をボクたちは用意できているのだろうか。どんな人間になりたいかということには、どんな形で社会に関わっていくのか、そのためにどんな仕事を選ぶのか、そしてそれを通してどんな社会を目指すのかという順番で生き方を考えるということだろう。ところが今は、自分の適性から仕事を選ぶことが望ましいとされていて、それは世の中にある仕事の中から選択するということだから、どんな人間になりたいかなどではなく、どんな労働条件かが優先される。そりゃあ、誰だって楽して金儲けできる仕事に就きたいと思うに決まっているし、それは自分を労働力として交換可能な存在として規定することだ。自分の方にベクトルが向いていては、とても社会にはまでは行き着かない。
つれづれに短冊を眺めながら小腹が減ったなぁと思った時だった。一枚の短冊に目が釘付けとなった。
「焼肉食べ放題!」
間違いなく今年のナンバーワンです! 笹の葉さらさら、願いは天へ!
(2009/08月号)
蛇足
今年も七夕さまの季節です。この頃によく耳にする唱歌「たなばたさま」ですが、歌詞の内容がいまの時代ではわからないですよね。かくいう私めもずーーーっと「のきば」を「まきば」と覚えていて、なぜ短冊の飾られた笹がホルスタインが草をはむ牧場に立てられているのか理解不能でしたし、「きんぎんすなご」も金と銀と砂からなぜか勝手に「月の砂漠」をイメージしていました。最近になって、「のきば」が「軒端」で屋根の張り出した部分ののことで、「砂子」が蒔絵や襖絵を装飾するため細かくした金箔銀箔のことだと知りました。今様に言えば、「軒端」はバルコニーの屋根のことで、「きんぎんすなご」はラメ・ビーズ・スパンコールって感じでしょうか。さて今年は七夕晴れるかなぁ?
『たなばたさま』
ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎん砂子(すなご)
五しきのたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみて