未知なる世界は魅力な世界

こどもって面白い

 新緑のきれいな季節になった。プレイスクールの周りの森の木々も、太陽の光を受けて明るく輝いている。先日、新しく一年生になったこどものお母さんと話しをしていたら、その子はとにかく学校生活のすべてが新鮮で目新しいのだそうだ。集団登校、新しいお友だち、教室のにおい、給食、先生の話し方…そんな中でも体育や朝礼のときにみんなで整列したりするのがお気に入りで、家でひとりで号令をかけて整列の練習をしているのだという。ところが…

「整列ぅぅっ! 右向け右っ! 前にのろえぇぇっ!」
「えっ? それ違うんちゃう。『のろえ(呪え)』じゃなくて、『習え』やないの?」
「だってぇ、先生はそういわはるんやもん」

 たぶん大きな声で号令をかけるときに、先生はちょっと巻き舌になっているのだろう。こどもって面白いところに気がつくものだ。それにしても、並んでいて後ろから呪われたりしたら困るし、順々に呪っていったら列の最後にはサダコがいたりするんじゃないかと、この話を聞いてボクはへんな心配をしてしまったのだった。

 みんなで整列したり行進したりは学校では当たり前のことなんだろうけれど、われわれ大人にはどうも『軍隊的』な印象が感じられるところだ。でもこどもにとっては、その行為に何かの色を感じたり、貼りついているイメージを憂うことなどない。極端にいえば、こどものとって知らない世界、未知の世界はとってもわくわくする魅力的な世界として目の前に現れる。整列大好き少年は、カクカクと直角に動いたり、ピタッと止まったり、みんながひとつになったように動いたりするのが、きっとカッコいいと感じているのだろう。自分の体なのに自分じゃないように動いたり、自分の体の感覚が拡張されてみんなをひとりの自分のように感じたりしているのかも知れない。実際、人間は集団に属したり集団のために何かをすることで脳内では快楽物質ドーパミンが出るのだという。

 こどもたちが新しい世界に対してすぐに順応していくのは、いい悪いではなく人間が社会的な存在として生きざるを得ないということを体現しているからだろう。自分の思い通りにならなくても、小さい心を痛めながらも折り合いをつけて、何とか自分の居場所を作ろうと頑張っているのだ。われわれはそんなこどもたちを、ときに励ましときに共に喜びながら温かく見守るしかないのだろう。何かがあってもこどもたちは立ち直りも早い。そのベースには新しい世界は楽しいという思いがあるからからに違いない。

 しかし、お母さんの中には「学校って、こどもより私らの方がたいへんやわ」とおっしゃる方もある。授業参観に行ってみると、教室の後ろに並ぶ保護者の方々の私語が止まず、携帯で写真は撮るわ、ビデオは回すわの好き放題。運動会の案内には「学校内は禁煙です」の注意書き、これじゃ軍隊的な訓練が必要なのは大人の方かも知れないなぁ。

「はい、そこのお父さんお母さん、廊下で立ってなさい!」

(2012/06月号)

蛇足
 同調圧力の強まっている社会では、気をつけないと集団に飲み込まれてしまいそうですが、最初から入らないのではなく、まずは属してみてから嫌だったら自分なりの道を考えればいいのかなと思ったりします。まずは真似をすることで自分が見えてくることもあるのではないでしょうか。

 ♪並ぶために並んでいるわけじゃない 並びをぶっちぎるために並んでいるのさ
  ルールにのっとって ルールをのっとって一等賞
     歌・竹原ピストル「一等賞」

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