♪コンコンチキチン、コンチキチン…祇園祭のお囃子を耳にすると、京都の人であればいよいよ暑い夏がやって来るなという気分になるものだ。今年は前祭の宵山と山鉾巡行が三連休に当たったためたいへんなにぎわいだったようだ。海外からの観光客も戻ってきているのも影響しているのだろう。しかし、年々暑くなっているように感じるこの陽気いや猛暑の中でのお祭りはやる方も観る方も熱気がなければとてもじゃないがやりきれない。そのうち鉾にも屋根に太陽光発電、囃子方の天井にクーラーがつく日が来るのか知れないですね。
祇園祭のお囃子には笛、鉦、太鼓があり、経験や年齢とともに担当する楽器が変わるのだと聞いたことがある。もともと町内の人たちのためのお祭りという面があり、お祭りを通して地域が結束を固めたり、また子どもが大人に成長していくきっかけとなっていたのだろう。まさにコミュニティーが子育てや人作りをしていたといえるのだ。大人やお兄ちゃんのしていることに憧れ、やがてそれが出来るようになって、次には下の子どもたちに伝えていく…そんなことをしながらみんな大人になっていったんだろう。逆にいえばどうすれば大人になれるのかがはっきりとしていたということでもある。
今の時代は、京都の街の真ん中では過疎が進んで子どもが少なく、子どもを集めるのがたいへんだったり、子どもも塾や習い事に忙しくて練習に出られないとの話も聞こえてくる。それ以上に社会全体として「大人」になりにくい時代になってしまっているという現実もあるに違いない。
祇園祭と時同じくして、幕張メッセでは日本最大のおもちゃの展示会が開催されていた。電子ゲームやソフトなどが3万点以上も並んでいたというが、今年のキーワードは「キッダルト」なのだそうだ。「キッダルト」とは「キッズ」と「アダルト」を合わせた言葉で、「子どもの心を持ち続けている大人」なんだそうな。
確かにおもちゃに対する見方というものは時代とともに変わって来ているだろう。電子ゲームでもやたらと「脳年齢」関連のソフトが売れていたり、大人向けの「仮面ライダー変身ベルト」(何と3万円!)が売れていたりするらしい。ガンダム関連グッズの多くは30代に消費されているともいうし、昔のようにおもちゃは子どもだけのものという時代ではないのだろう。
しかし、おもちゃへの見方が変わったのか、それともただ単に「大人」が変わったのかは微妙な問題だ。はたして「キッダルト」は、ひと昔前に言われた「アダルト・チルドレン」(=子どもっぽい大人)と何がどう違うというのだろう。「いつまでも少年の心を持っている」という面を見ればプラスなイメージだが、裏返せばちゃんと大人になれていないだけかも知れないではないか。
その昔、固定的な社会に対してノンを唱えた若者たちは「大人になりたくない」といった。その次にやった来た若者たちは価値観の多様化とともに「大人になれなく」なってしまった。では次に来る若者たちはどうすればいいのだろう。
コンチキチンの祭り囃子を聞きながら自分自身を振り返れば、やっぱり大人になれ切れていない自分がいる。うむむっ、半額やったら間違いなく「ライダーベルト」に手を出していたやろなぁ!! これって経済感覚もまだまだお子ちゃまということかしらん!
( 2006/08月号)
蛇足
これを書いたのは2006年、今から15年以上前のことなのでガンダムグッズを買い求めていた大人はすでに五十路前、ライダーベルトに手を出した昔の男の子はすでに還暦を超えているのかも知れず、年齢とともに蓄積する腹回りのお肉でベルトも回らなくなってしまった御仁もさぞや多いことでしょう。
それにしてもどうすれば今の時代「大人」になれるのでしょうね。これが大人だというロードモデルがない時代、自問自答しながら最後はバカボンのパパのように「これでいいのだ!」と開き直るしかないのかなぁ…