今年の梅雨はいつもより少し長めに居座っていて、7月も終わりだというのにまだ夏の実感がわいてこない。しかし、あと一週間もするとプレイスクールは夏モード全開でサマープレイスクールに突入しているのだ。げっ! あと一週間しか準備する時間がない…とまぁ毎年ながらのバタバタした夏の始まりだ。
そんなアウトドア三昧の日々を前に、書店でまたまた見つけてしまいました! いままでにも何度もネタを提供しいてくれたいわゆるファミリー向けの教育雑誌の表紙に「アウトドアで大切なことを学ぶ」という文字が躍っているではありませんか。さっそく購入して読んでみると、ふむふむ何だかずいぶんとまともな内容じゃないの。いわくアウトドア体験が子どもたちの「創造する力」や「探求する力」「感性」「コミュニケーション力」「自己肯定感」などを伸ばしてくれるのだそうだ。
プレイスクールのキャンプは、電気もガスも何もないような自然の中で行っている。なので遊ぶにしても当然、家でテレビゲームをするようにスイッチを入れれば遊び始められる訳じゃない。みんなとわいわい遊んでいる内にルールが生まれて、そのルールがどんどん変化しながら遊びが盛り上がっていったりする。林や川原の石や木の下にはへんてこな形の生き物がいたり、夜にはでっかい虫や蛾が飛んできてビックリしたりもする。ごはんを食べるのにもグループのみんなと協力して調理をしたり火をおこしたりしなければならない。ときには火がつかず自分たちのグループだけ真っ暗になってから食べることになるかも知れないけれど、時間がかかった分だけその味は美味しかったりするのだ。
そんな環境で過ごせば、ひょっとすると雑誌のいうような力を身につけることができるのかも知れない。ただ極端な言い方をすれば、それはあくまでも結果論でしかない。ひょっとしたらアウトドアの体験からそんなことも身に付くかも知れないけれど、そんなことを獲得するためにアウトドアに出かけるわけではないだろう。大人はすぐに効果なんてものを期待してしまうけれど、ここはひとつ宝くじを買うような気分で身につけてくれたらラッキーくらいに思っておくのが良いのかも知れない。
この記事ではこのあとに親子でアウトドアに出かけたときの心得なるものがあるのだけれど、「まず親自身が楽しもう」「自分が楽しめることに子どもを引きずり込もう」などと続いた最後に「教育的な意味は考える必要なし」という一文があって、これには御意と膝を打ってしまったのであった。自然の中に子どもを連れて行くとどうしてもいろいろなことを子どもに教えようとしてしまうのが、大人の悲しい性なのだ。で、大人がそんなふうに頑張ってしまうと、子どもにとって自然は学校の教室と同じく窮屈なところになってしまう。だからこの一文はとても正しいと思うのだ。
親の好きな土俵に子どもを引きずり込んで、熱中する姿を見せて教えもせず…ずいぶんと古風な感じがするけれど、やっぱりこれが子ども何かを伝える一番の方法なのかも知れない。アウトドアの極意はオレの背中を見て盗め! おおっカッコいい!
ではアウトドアが苦手なお父さんはどうすればいいのかって? へたなことに手を出して父の権威に傷が付かないように「君子自然には近づかず」、泡だらけの背中で正しい温泉の入り方でも伝えることにしましょう。
(2007/08月号)
蛇足
自然の中に身を置くことの一番の意味合いは、予測不能、想定外の世界があるということを知るということでしょう。街にいるとすべては想定内のこととして解決策と結果が見えていますが、自然の中では暑さも寒さも折り合いをつけてやり過ごさなければなりません。実は予定調和で生きている大人の方がそんな不安には弱いような気がします。だってこどもたちは、もともと街での暮らしですらわからないことだらけの中で生きているわけで、しかもわからないこと不思議なことを楽しいこととしてワクワクしながら世界と関係を取り結んでいるのですから。
自然って面白いやんということだけが伝わったら、今年の夏のキャンプは成功なんじゃないかなぁ。