今年の春はいきなり汗ばむような陽気が続いたかと思えば、びっくりするような寒の戻りがあったりと、何かへんな気候が続いている。そのせいで桜の花はいつもより長く楽しむことができたけれど、それもここ数日の春の嵐で散ってしまい、かわりに芽吹きの新緑が美しい。行ったり戻ったりしながら、季節は前に進んで行く。
幼稚園新学期の最初の日、胸に真新しい名札をつけたこどもがやってきた。「おはよう!」「あっ、ふうちんおはよう。ボク、明日からプレイスクール行くしな」「ほんまぁ、待ってるわ」そして僕はちょっと意地悪く、言葉をつないだ「そやけど、明日はまだ年長さんだけやで」「だってボク、今日から年長さんになってたんやもん!」「うわっ、ホンマや! 名札の色が変ってるやん。もう年長さんなんや」「そうや、ボク年長さんなんやで!」その子はそういいながら、青色から赤色に変わった名札を自慢げに指差したのだった。毎年この時期のお決まりのやり取りだけど、このときに見せてくれるこどもたちの自身に満ちた晴れやかな笑顔がボクは大好きだ。
こどもたちにとっては春は新しい世界への旅立ちの時だ。入園や入学、進級、クラス替え…結構こどもたちが越えなければならないハードルは高い。でもたいていの場合は、こどもたちはその変化を楽しみにしているし、自分が変わることを楽しんでいるように思う。
こどもは年をとることに恐れなどない。ひとつ大きくなるといろいろとできることが増えていくのだから、大きくなることはうれしいことなのだ。僕などある時から年をとっていることを積極的に忘れようとしているのだが、髪の毛に白いものが混じったり、近くのものが見えなくなったりと、心とは裏腹に体がこの「変化」を身をもって示してくれるのだからたまらない。後はいろいろことができなくなっていくことも「成長」だと、開き直るしかないのかも知れない。
人間の体は分子レベルではとても短い周期ですべての部品が入れ替わっているのだともいう。常に変わっているのが普通なのだ。成長期のこどもは、きっとそれもすごいスピードで変化が繰り返されているのだろう。変わることを恐れないのは、体の中のそんな変化に素直なからだろうか。逆にいうと、大人が変わることよりも今いる位置やスタイルに固執してしまいがちなのは、体の変化のスピードが遅くなっているからなのかも知れない。
体とともに心の変化もそれに負けないくらいのスピードで進んでいるのだろうが、こちらの方は分子が入れ替わるという機械的な変化ではない。一般的に「成長」は直線的に右肩上がり増加していくイメージがあるけれど、心も含めた人の成長はそんな簡単なわけではないだろう。その時その時には浮きつ沈みつを繰り返しながら、長い目で見れば右肩上がりの直線に見えるのかも知れない。それは今の季節が暖かかったり寒かったりするのと同じように、楽しかったりつらかったり、笑ったり泣いたりしながらも、新緑の葉がやがて繁りまた枝を伸ばしていく様に成長していくということだろう。
ところで、新年長さんたちがびっくりするくらい頼もしくなっているのはうれしいのだれど、妙に命令口調になったり、巻き舌になってエラそうに話したりするのはどないなもんでございましょう。まぁそれも「成長」の過程ということなんでしょうね。
(2010/05月号)
蛇足
行ったり戻ったりしながら子どもたちは育っていきます。今はゆっくりでも、ちょっと戻っていても、必ずそのうちに進んでいくのです。その歩みには希望が満ちています。そんな子どもたちの変化に関わっていられるって幸せなことですよね。
しかし、行きつ戻りつしながら成長していくボクのこの腹回りにも希望は詰まっているのだろうか…