【今回の文章はコロナ禍の2020年5月に書いたものです】
幼稚園や学校がお休みになってウキウキしていた子どもたちも、さすがにこれだけ長期間になってくるとウツウツ。それに付き合うお母さんは、課題もせずにゲームばかりしている子どもたちにイライラ。横でリモートワークのお父さんは上司がいないことをいいことにゴロゴロ。家族みんな運動不足と食べ過ぎでブクブク…こんな時に何もできず片付け掃除にまい進するしかないわれわれリーダーたちはウツウツ。あぁいったいいつまでこんな日が続くのだろう。かといってすでにこんなゆったりリズムでの生活に慣れてしまった身体では、いきなり社会生活リスタートといわれてもついていけそうもない。
先日、「日曜美術館」(NHK)で面白い話が紹介されていた。12世紀に描かれたとされる『辟邪絵』という絵についての話だった。ちょっと見、恐ろしい化け物が人を食べているように見えるのだが、実は天刑星という善神が人に病気災難をもたらす「疫鬼」を懲らしめている絵図なのだという。四本の手で疫鬼をむんずと捕まえて、酢につけて食べているとのこと。もちろんこれは古来の人たちが病気をどのように理解していたのかという深いお話しのいったんなのだが、昨夜のお酒の残るボクの頭のなかでは、そのころから酢の殺菌作用がわかっていたなんて凄いなとか、これじゃしめ鯖じゃなくてしめ疫鬼やな、われわれがアニメ好きなのはご先祖さま譲りなのか…などとどうでもいい考えがめぐり回っていたのだった。
病気を鬼の仕業として見ていたように、われわれ日本人は何かにつけて「鬼」という存在を使って世界を理解しようとしてきた。もともとは鬼とは、「大きいもの」「強いもの」「秀でたもの」「畏敬の存在」を表すものだったので、今の若者たちの「鬼スゲー!」という使い方もあながち間違いではないらしい。しかし、時代とともの鬼には「悪しきもの」「邪悪なもの」としてのレッテルが貼られるようになり、疫病や天災、人にとって不都合なこと理解を超えることがらは鬼の仕業ということになっていく。平安時代、京の都にほど近い大江山にいたとされる酒呑童子という鬼は、夜な夜な街に下りて悪事を働いたとされるが、それは都という人工的な環境で社会ルールに従って平穏に暮らしている人々の《系》を揺さぶり乱す存在として作られた存在なのだろう。
ひるがえって、このコロナ禍の中で活性化しつつある鬼が身近にいる。言わずと知れた「ガキ」である。子どもが食べものをむさぼるように食べる様子から、六道のひとつ餓鬼道の鬼に見立てているわけだが、平穏無事な家庭(…あるとして)をわがままやいたずらでかき乱す存在はまさに鬼そのものだ。これだけステイホームでウツウツ状態が続けばいい子も鬼になろうというもの。ここはひとつ子どもってそういう存在なのだと腹をくくって付き合う方しかないのかも知れませんね。あまり頑張って角を折り成敗してしまうと、子どもの心の中に角が生えてしまうかも。ましてや天刑星のように酢なんかかけちゃダメですよ。かけていいのはアルコールだけ!それも手指だけね!
実は《系》が揺さぶられることは、硬直したシステムに新たな風を送り込み更新するという良い面もあるのだ。ひょっとしたら大人目線で決められていた家庭のルールが、子鬼の一撃でみんなが過ごしやすなるルールになることだってあるだろう。社会的にも今回の疫鬼の仕業でいろんなルールが変わってしまったし、これからもそれが新しい常識になっていくことだろう。
ところでわれわれの今一番の気がかりは、長らくのステイホームで角を隠した子どもたちがプレイスクールに来るなりムクムクと角を生やし、われわれに向かってくるのではないかという恐怖である。う~む、ここはしばらくオンラインプレイスクールでしのぐかと思ったのだが、機械音痴のボクにはとてもできそうになく、まずはオンラインでお勉強かなぁ…うぅっ鬼しんどそう!
( 2020/05月号)
蛇足
コロナ禍で社会はもっと変わるのかと思っていたけれど、あけてみたら相変わらず学校には毎日行かなきゃならないし、運動会や学校行事もわりとフツーに元通りになっちゃったりして、あれだけ揺さぶられのに《系》が更新されることはありませんでした。もとからある系が絶対的にいいのか、それとも変化に対して臆病なのか…閉塞感のある社会の一発逆転の機会だったようにも思うんだけどなぁ。