子どもは穴を掘る存在としてよく知られている。砂場や海岸に立つと無性に穴を掘りたくなる欲求にかられ、シャベルやスコップ、木の枝や自分のサンダルを使ってまでもその欲求のままに行動をはじめるものなのだ。どんどん掘りながら、このまま地球の裏側まで行ってしまったらどうしよう?とか、すんごい宝物が出てきたらどうしよう?とか、地底人が出てきたらどうあいさつしよう?などという妄想がより一層スコップを持つ手に力を与える。
当然ではあるが、大人も穴を掘ることはある。しかしこの場合は畑仕事であったり、土木作業であったり、仕事や何らかの目的のために穴を掘るという作業に従事するわけである。これに対して、子どもは穴を掘ること自体が目的なのであり、穴を掘るために穴を掘るいう手段と目的が混然一体としているのである。ただし唯一、何かの目的のために穴を掘るとすれば、それは「落とし穴」作りの時であり、当然そこに落そうとするのはリーダーであり、リーダーはその役割上大げさに落ちなければならないのである。
このように、大人と子どもでは穴を掘ることに対する思いや態度、意味合いが異なるため、学者の中には、人類全般を指すホモサピエンスに対して、子ども時代をホルサピエンスと呼んで区別する方か適切ではないかと主張する者もいるが、まだ一般化はしていない。
少年時代にひたすら穴を掘っていた子どもたちをたくさん見てきたが、彼らが大人になってからゼネコンでトンネル工事を担当したり、レアメタル発掘に従事しているという話はあまり聞かない。しかしながら、地球規模でエネルギー問題が深刻化している現在においてこそ、海底油田やガス田、さらにはメタンハイドレート発掘の担い手として穴を掘るということへのモチベーションを大人になっても持ち続けてほしいものである。その穴の奥には人類の未来がかかっているのだから。
今日も今日とて、子どもたちは穴を掘る。夕暮れ迫る砂場で、浜辺で打ち寄せる波と戦いながら、手の冷たさも忘れて真っ白な雪を、内蒙古の草原で人の丈ほどの穴を掘る。さぁ掘り進め!その先にキミの未来が埋まっている。
(2012/03月・2023/4/1改稿)
蛇足
「地球学校」というプログラム(1993年)で訪れた中国内蒙古の草原でも子どもたちは穴を掘っていました。草原には石や木の根もないので面白いように掘れるので、キャンプサイトのあちこちに人の丈ほどの穴が掘られのでした。星と月の灯りしかない夜に誰か落ちやしないかとハラハラしたものです。
落ちそうなのは子ども?いえいえ、生暖かい麦酒と火を吐きそうな白酒(パイチュー)に酩酊したリーダーたちです。