大人への階段

アドベンチャー

 今年度の小学生クラスはめずらしく6年生がたくさんいてくれて、良く言えば落ち着いた雰囲気、別な言い方をすると何となくけだるい雰囲気が漂っている。ついこの間まで先頭に立ってお馬鹿なことをしていた子どもたちが妙に冷めた態度を取りだし、こちらの言葉がけにも「ふぅ~ん…べつにぃ~」とつれない返事、同学年でつるんではゲームの話で盛り上がり、他の子どもたちを寄せつけないオーラを発する…いよいよ来やがったぜ、反抗期ってやつが!

 子どもたちは、成長とともに何度かの反抗期を乗り越えて大人になっていく。2~3歳ごろの第一次反抗期、そして思春期の大波第二次反抗期に加えて、最近では小学校低学年にも中間反抗期という小波があるとも言われている。第一次反抗期はいわゆる「イヤイヤ期」で何でも自分でやりたがり、うまくできないと親に当たるという悪循環に陥ったりする時期だ。この「イヤイヤ期」という呼び方を変えて、子どもの成長にとって大切な時期なのだと前向きにとらえようという話もあるらしいが、自我の芽生えなのだと理解しているのなら呼び方にこだわる理由もないような気もする。呼び方を変えたところで、子どものイヤイヤはイヤイヤのままなわけで、それに対応するのがイヤイヤな大人の都合でしかない。だいたいそんなことをしたら、かの名著「いやいやえん」はどうなってしまうのだろうか。

 中間反抗期は自分で考えて行動したくなる時期で、やたらと口答えがはげしくなると言われたいる。まぁこれについては子どもの気性もあるからなぁ。でもこの辺りから大人って存在がうっとおしいものになっていくんだろう。

 そして、いよいよ本丸の第二次反抗期にたどり着くわけだ。大人や社会に対して何かにつけて嫌悪感をいだき、その代表として親にその矛先が向かうことになる。それは社会の中で自立しようとする大人への入口なわけだが、それに巻き込まれる側はたまったものではない。反抗といっても信頼と愛情の深さを試しているわけで甘えの裏返しといったところか。ずいぶんと前の保護者がこんなことを話してくれた。そこのお兄ちゃんがなかなかのやんちゃだったらしく、いろんなことをしでかしてくれたのだという。でもいつ帰ってくるかわからないその子のために、ごはんだけは必ず用意しておいたのだという。帰ってこれるところがあるという安心感が彼をつなぎとめていたのだろう、彼は道を外れることなく育ってくれたという。いまでは親父さんの仕事を手伝う好青年になっている。結局、大人はどっしりと構えて懐深く対応する方がよいという、わかっちゃいるけどなかなかできないことが大切ということなのだろう。

 ところでプレイスクールの6年生たちは三択クイズでちゃんとボケの答えを選択しその場を盛り上げてくれたりしながら、ひとりの男の子がボソッとこう言った。「オレ、もうすぐ反抗期やし!」「そうかぁ…もう6年やしなぁ…」あれっ? 自分で反抗期を宣言して反抗するやつはおらんだろう。まだまだこの人たちは大丈夫みたいです。

(2018/06月号)

蛇足
 この文章はかれこれ6年も前に書いたものだから、この頃反抗期の入口にいた子どもたちはの嵐の季節はもう終わっているのだろうか?最近では反抗期のないまま大人になっちゃうこともあるというが、果たしてそれでうまく自我が確立されるのか。反抗する気力もないのか、あるいは若くして老成されているのか、はたまたわれわれ大人が妙に物わかり良すぎて抗うべき対象として不甲斐なさ過ぎるのか…
 ちなみにボクがこの年で金髪にしてたりするのは、あくまで白髪薄毛対策であり、決して反抗期ではございません。

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