ノイズの先の世界

こどもって面白い

 「この線をアンテナにつないで、こっちはアース…何か聞こえる?」「う~ん?何かザーザーいってる!」「ほんなら、この黒いつまみをゆっくり回してみぃ」「…あっ! 人の声が聞こえた。何かしゃべってる!」「電池もないのに聞こえるって不思議やなぁ!」

 発明クラブの高学年たちとゲルマニウムラジオを作ってみた。無電源で空中に飛んでいる電波の力だけで音を出すAMラジオだ。音は小さいしFMのようにステレオでもない。でも耳に差し込んだイヤホンから音が聞こえてきたときはちょっと感動ものだ。たった数個の電子部品をハンダでひっつける。ケースはなぜがプレイスクールに大量にあった石けん箱(かくや姫の神田川に出てくるようなやつ)だったりする。アンテナには電線が30メートルほどもいるので、知り合いの車屋さんからもらってきたいらない電装用のコードをこどもたちにさばいてもらって、細い電線を取り出してハンダでつないで作った。何か昭和の時代か、はたまた東南アジアのどこかの風景のようである。

 もちろん電線を買ってくればすむ話なのだけれど、あえてこんな面倒なことをしてもらったのだった。便利な今の時代は、何かを作ろうと思えば○○製作キットなりがちゃんと用意されていて、プラモデルのように組み立てれば出来上がるってことになっている。確かに形としてのものはできるかも知れないけれど、それがもの作りの楽しさを感じることになるのだろうか。それこそ昭和のラジオ少年たちは、壊れたラジオを分解して必要な部品を取り出し、それを使ったまた別のものを作っていた。今の時代、どこのこどもが石けん箱にラジオを組み立てるものか。しかし電線をさばいたからこそ、車のオーディオ線の中には色とりどりの細い電線が6本も7本も入っているということをこどもたちは知ったのだし、こんなものでも十分に用をなすということを自分の耳で確認することができたのだ。誰でもが必ず作れる便利さは、その反面で創意工夫やもの作りの楽しさを奪ってしまったのではないか。

 ノイズの中からかろうじて聞き取れる音楽を聴きながら、そういえば最近は音楽の聴き方もずいぶんとかわったなぁと思ったのだった。レコードからCDになり、いまでは音楽は形のないデジタル情報になった。そして自分の好きなアーティストや楽曲を選択的に聞くことが普通になっている。その昔、レコードもなかなか買えなかった頃にはラジオやテレビから流れる音楽が唯一の情報源だった。その頃はまだ歌謡曲というくくりの中に演歌やニューミュージック、和風ロック、アイドルなどが盛り込まれていて、自分の好きな曲を聴くためには、その当時としてはどうでもいいノイズにしか聞こえない演歌も何とはなしに耳に入ってきていたものだ。そして今、おじさんになって演歌の歌詞に妙に人生の深淵を感じてしまったりするのだが、これって案外、その当時にいやおうなく耳に入って来ていたノイズを聞くでもなく聞いていたという素地があったからではないかと思うのだ。

 ひとりひとりの好きな音楽を選択的に聞くことができるのが世の中の便利、でもそれ以外の音楽を聞く機会はない。好きな音以外をノイズとするならば、ノイズこそが違う世界からのメッセージなのだ。

 だからひょっとしたら生きるためにはどうでもいいかも知れない<遊び>というノイズ=雑音をボクたちはこれからもこどもたちの耳に届けていこうと思う。不便なことや雑多なものに触れることが、いずれ彼らの世界を広げるきっかけになるということを信じて。ノイズもいろいろ、世界もいろいろ、そして人生もいろいろ…お千代さん、お疲れさまでした。合掌

(2014/01月号)

蛇足
 ノイズも含めて、今の世は自分の人生に必要なもの以外には目も向けないですむ便利な時代です。興味のある狭い範囲を深く掘り下げることがよいとされる「スペシャリスト」の時代ともいえますが、雑多などうでもいいことにまみれる「ジェネラリスト」も生き方としては楽しいように思うのです。まぁボクなどどーでもいい雑なるもので出来てるみたいなもんですから…
 ちなみに「お千代さん」とは、歌手の島倉千代子さんのことです。1987年のヒット曲『人生いろいろ』は波乱万丈の人生を送られたお千代さんだからこそ伝えられる言霊がありました。この文章を書いた前年(2013年)に逝去されました。

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