共存共有共生

こどもって面白い

蛇足 この文章を書いた頃とはくらべものにならないほど、ここ数年のコロナ禍で社会はより清潔になりました。確かに未知のウイルスに多くの命が失われたことは事実ですが、社会生活や人との関係において失ってしまったことも多いように思うのです。
 文中の藤田先生の仮説に対しては寄生虫とアレルギーには直接の関係はなく、逆に寄生虫などのいない生活環境にいることで、人間の免疫が力を持て余している結果として、無害な花粉などの体内への侵入に対して過剰反応を示していることが原因ではないかとの指摘もあります。ただ極端な清潔主義は人間の生きる力を失わせてしまうという意見は多いようです。
 ちなみにこどたちが石を食べていたり水たまりの水を飲んでいたらもちろん止めますし、ましてやわれわれがすすんで口にさせていたわけではありません。このあたりについても潔癖な社会になっていますので、ひとこと申し述べておきます。

 「あれっ? お口もぐもぐ動いてるで。何か食べてるんちゃう? あ~んしてみ…今日は黄色かいな。アカンで、もうやめときや。クレヨン食べるんわ!」

 最近ではあまり見かけなくなったけど、いろいろなものを口にするこどもがたまにいた。アメのように石をなめていたり、砂肝に蓄えるつもりなのか砂をはんでいたり、砂漠でもないのに水たまりの水でのどを潤すツワモノもいた。だからといって病院騒ぎになることもなく、ケロっとしている彼らを見て、人間ってたくましいなぁと妙に感心したものだった。

 ここ数年ノロウイルスやインフルエンザの流行期になると、テレビなどでそれら関連の番組がやたらと目立つように感じる。確かにノロにかかってゲロゲロピーにはなりたくないし、インフルエンザで高熱にうなされるのはイヤだ。しかし、やたらとウイルスに対する恐怖心を植え付け、やれ除菌だ消毒だと騒ぎ立てるのはいかがなものか。その昔、家庭に悪いことが起きるのはご先祖様を大事にしないからだと、ガラクタのような壺をとんでもない値段で売りつけた事件があったが、健康を人質にウイルスの恐怖心に任せて除菌剤や医薬品を売りつけようとする番組スポンサーや企業の意図もこれに似たり寄ったりではないかと勘ぐってしまったりする。

 今では除菌消臭が当たり前の世の中だ。何事にも完璧主義、みんなと一緒が大好きな日本人的気質のなせる業だろうか。しかし日本の衛生状態がこれだけよくなったのはまだ50年にも満たない。ボクが子どものころには検便やギョウチュウ検査なんてものがフツーにあったものだし、高度成長期前には国民の70%が何らかの寄生虫と共存する「土壌伝播寄生虫病」だったという。その後、日本は劇的に生活環境が変化しカイチュウ、ギョウチュウたちは駆逐された。しかし寄生虫に詳しい免疫学者藤田紘一郎によれば、寄生虫の撲滅と時を同じくして花粉症やアトピー性皮膚炎などが増加したのだという。歴史的に見れば、人間は何らかの寄生虫と共生することが当たり前の生き方だったのに、行き過ぎた潔癖主義が体の中に共存者を受け入れない代わりに別の病気を生み出したということだ。

 先日、ラジオを聞いていたら「私、ヌカ漬けがダメなんです。誰かの手でヌカが混ぜられていると考えると食べられません。抗菌とか当たり前じゃないですか…」などとアホなことをぬかしているDJがいた。それが柴漬けに千枚漬、すぐきなどの漬物が有名な京都のラジオ局から発信されていたのにはひっくり返りそうになってしまったのだった。だいたい人の手うんぬんの前に、漬物などの発酵食品はさまざまな菌の力を借りて作られていることをわかってはいないのだろうか。こんな話を聞きながら、潔癖主義の先にあるのは他者を受け入れない身勝手な利己主義か、はたまた生きものをやめて機械かロボットにでもなろうとすることなのかも知れないとボクは考えていたのだった。

 ところで先述した食欲旺盛な少年が少し大きくなってからその当時の話をすることがあった。「ほんでクレヨンは色によって味とか違うのか? 何色がうまかったん?」というボクの質問に彼の隣にいた幼なじみの友だちがすかさず答えた。「そら赤が一番おいしいわ!」「そうか赤色か…何っ? お前も食べてたんか! それであの頃、赤のクレヨンばっかりなくなってたんやな!…え~い!お前らみんなレッドカードじゃ!」「やばいっ! 逃げろ~っ!」「待て~っ!」
 胃袋の中が七色になっても、案外、人間って強い生きものみたいです。

(2014/02月号)

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