「む」から生まれ「ん」に流す

こどもって面白い

 ある日、お弁当を食べ終わって新聞をパラパラとめくっていたボクはあまりの衝撃に目が点になってしまったのだった。それはアベノミクスの経済効果でも90歳にしてエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんの記事でもなく、毎週火曜日に掲載されているこどもたちの書道の作品の中にあったのだった。半紙一面にでかでかとひらがなで「む」と書いてあるではないか。「む」だけなのである。自分の名前もこの「む」に押されるように左はしに苦しそうに配されており、とにかくその力強さがスゴイのである。潔いのである。一字にしてすでにアートなのである。2年生男子の作品であるからして、虫の羽音も騒がしくなってきた頃のこと、ひょっとすると「む」に続けて「し」という字を描きたかったのか、それともこの「む」は「無」なのであろうか、おぉすでにこのお年で達観されておられるのかなどと、さまざまな思いが頭を駆け巡り食後の眠気もどこかに吹っ飛んでしまったのだった。

 それにしてもこの字を書いて提出したこどももすごいけれど、何よりもこれを選んだ選者こそ素晴らしいではないか。などと感じ入りつつ、家に帰るとテーブルに「こんなにかわいい雑貨本」なる本が置いてあった。この本は全国の福祉施設で作られている作品やアートの数々を紹介しているものなのだけれど、これがまたスゴイのである。さまざまな障害を持っている方々が製作した作品が並んでいるのだけれど、とにかく何だかストレートなのである。作品からは描くことや作ることが本当に好きなんだという気持ちが伝わって来るのだ。カッコいいものを作りたいとか、きれいなものを作りたいとかではなく、とにかく作ることに集中して楽しんでいる様子が浮かんでくる。作ること=表現することがすべてなので、そこにはどうすれば「売れる」とか、誰かに「評価」してもらいたいなどという「欲」は微塵もない。実に純粋な造形であり、無垢なもの作りだ。表現に対するこんな姿勢は、きっと「む」と書いた男の子にも通じるところがあるのかも知れない。

 ひるがえって、幼児クラスでは「うまく描けへんし、描いてぇっ!」とか「できひ~ん!やってぇ~っ!」とかいう会話が毎度のように繰り返されている。幼児にだってすでに「欲」があるのだろう。かわいいもの、カッコいいもの、そしてまわりに大人に褒めてもらえるようなものを作りたいと思っているに違いない。いやひょっとすると、まわりの大人の何気ない言葉にそう作らなければと思わされているのかも知れない。目標を高くかかげることは大事なことだが、そのギャップにばかり目を奪われて作ることの楽しさを感じてくれないのは残念なことだ。上手いとか下手とかではなく、もの作りを楽しいと感じていたい、それがボクたちがこどもたちに伝えたいことなのだ。

 その昔、日本を代表するフォーク歌手がインタビューの中で、「あなたにとって歌とは?」と聞かれ「それはう○このようなもんです。毎日食べたら毎日出る。そんなもんです」とのたまっていた。もちろん作品を作るためには相当な努力があるのだろうが、そんな自然体で表現しても良いのだろう。構えることなく力むことなく自然に作る。

 そして、かたや「芸術はバクハツだ!」とおっしゃていた方もおられた。それこそ「欲」や「常識」などとは無縁に表現することにこそゲージュツの本質があるということだろう。ということは、自然体で臨みつつ爆発しちゃう、そんなことをこどもたちに伝えられれば良いのかもしれない。う~むしかしなぁ…う○このように生みだし…爆発する…うわぁっ! 掃除がたいへんそうや! これからの季節、どうぞ寝冷えにご用心!

(2013/06月号)

蛇足 
 かのパブロ・ピカソはこんなことを言っています。

 「こどもは誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」

 こどもという生粋の芸術家を凡人にしてしまうのは、われわれ大人の関わり方次第なのかも知れませんね。

 ちなみに「歌=う○こ説」を唱えられたのはフォークの神様・岡林信康さん。実は1991年に行った「内蒙古地球学校」という国際交流プログラムで日本の子どもたちと一緒に内蒙古の草原までご同行願いました。当時歌われていた「エンヤトット」のリズムが草原に響いたのでした。

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