人間は考える足である

アドベンチャー

 紅葉で色とりどりに着飾っていた森も、葉っぱが落ちて明るくなってきた。これからが散策するにはもってこいの季節だ。何たって厄介だった蚊もいないし、引っ付き虫に悩まされることもない。さらに遠くまで見通せるので自分がどこにいるのかも確認しやすい。プレイスクールの周りに広がる森は実はそんなに広いわけではない。住宅街とゴルフ場に囲まれた狭い範囲なのだが、適当に起伏もあり川や池もあったりするので、印象としてはとても広く感じられる。うっそうとした季節に道をはずれて森に入っていくとちょっとした迷子気分にならなくもない。

 いつもは基地を中心に定点的に遊ぶことが多い冒険クラブも、たまには森に分け入り道なき道を歩くことがある。急斜面を登ったり、倒木を乗り越えながら進んだりと、こうなってくると「どこかに行く」ことよりも「どうやって行くのか」が目的になっていく。そしてそんなときの子どもたちは、いつもとは違ってちょっとピリッとして緊張した面持ちをしている。そりゃそうだ。いつものよく知っている基地とは違って、いま自分がどこにいてどこに向かっているのかすらわからないのだから不安に違いない。しかしそんなときに目にする景色はいつもの見慣れたものとは違ってとても新鮮で魅力的に見えたりするのだ。枯れ木の折れ曲がり具合、崖の岩の大きさ、葉の落ちた枝の向こうに見える空の色、そして意外と近いところに見える学園の風見…いつもとは違う場や景色は心に強く残るようだ。

 ところでよく人間を表す言葉として「ホモ・サピエンス」(知恵のあるヒト)や「ホモ・ファベル」(道具をつかうヒト)などがあるが、「ホモ・モビリタス」(移動するヒト)という言葉をお聞きになったことはあるだろうか。自然人類学者の片山一道氏(京都大学名誉教授)が命名したもので、「ホモ・サピエンス」が20万年前に誕生したわれわれ新人を指すのに対して、「ホモ・モビリタス」は700万年前に出現した猿人以降の広範囲の人類を指す呼称だ。アフリカから始まった人類の歴史は、森林から草原へ、アフリカからユーラシアへと生活圏を広げる移動の歴史でもあった。人類が農耕を開始したのはたかだか1万年前からだといわれているので、その歴史のほとんどは狩猟採集民として移動生活が基本だったわけだ。つまりわれわれは知らない土地をうろうろ歩き回ることを当たり前とする生きものなのだ。もちろん食料を確保するという最大の目的はあるものの、見知らぬ土地に対する好奇心がわれわれの祖先をうろつかせていたに違いない。知らないところに行くのが楽しいのはわれわれの身体が遺伝子レベルで欲しているからなのだ。

 最近の研究では、人間は移動するほど幸福を感じるということがわかってきたらしい。「行ったことがないところ行くなど探索の度合いが高い方がより幸せを感じる」のだともいう。「筋肉を鍛えると大きくなるように、新しい場所に行くと脳が鍛えられ、ストレス耐性が向上し健康になる。それにはどれだけ遠いところに行くかではなくり、どれだけ多様な新しい場所に行くかが重要なのだ」という。

 そうであればなおさら、狭いながらも多様な姿を見せてくれる森を子どもたちとうろうろすることとしよう。うろうろ歩き回ることで出会える新しい世界を全身で感じよう。じっとしていては何にも始まらない。どこに行くかじゃなく、何をするかでもなく、とにかく歩き出そう。そう人生、きっと行き当たりばったりが面白いのだ。

(2022/01月号)

蛇足
 しかし時代とともに「移動」も変わってきました。動く前にネットで入念に下調べをした上で、観光地ではお決まりの構図の中入り込んで写真に収まり、見栄えの良い食事の写真をSNSにあげる…移動は情報の後追いか確認作業のようになっています。
 でも本当に心が躍る瞬間には写真を撮ることすら忘れてその景色に溶け込んでいるのでしょうし、あとから写真を見なくとも心のフィルムにしっかりと記録されているように思うのですが…

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